無限に時間があればいいのに

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何もしないにはあまりにも長過ぎるし、何かをするにはあまりにも足りない。

 

そのままがどうかはわからないが、有名な言葉だ。

最近ふとやりたい事が増えていく一方なのだが、そのやりたい事をやるための時間というものがあまりにも足りない。

 

 

やりたい事には思う存分時間を掛けたいし、とことん練習して極めたいと思う。

 

私はそういうタイプなので、それこそ時間がかかる。

どうすれば時間が増えるのだろうか。

 

まぁ、そんなことを考えていても時間は減る一方なので、結局のところ時間など気にせずひたすらに自分のやりたい事を夢中でやるのがいいのだろう。

 

しかしだ、ふと思う事がある。

 

人間は満足して死ぬことができるのだろうか。

 

皆が皆、後悔ばかりを残して死んでいくことはないにせよ、これで私の人生は最高だ、思い残すことは何もない、満足だ。

 

こう思って死んでいく人がいたならばそれはとんでもなく幸せなのだと、心から思う。

 

しかし実際はその人が具体的に掲げたやりたい事というのをひとつ残らず全部実践できた人。

 

こんな人はやはり存在しないのではないのだろうかと、私は思うのだ。

なぜなら人の妄想、創造の類に際限などないからだ。

 

つまり何が言いたいのか。

 

これで私の人生は最高だ、思い残すことは何もない、満足だ。

 

こう発言した人でも、思い残すことはなくともやり残したことはあるのだと。

 

それでも満足して幸せに死ねたのだと。

 

そう考えてみれば、やりたい事を全部やるのが幸せなのではなく、やりたい事を全力でやって、夢中で生きて、振り返った時に自分の生きたいように生きたということが最大のやりたい事だったのではないだろうか。

 

だからその人は満足して死ぬことができたのだ。

 

だから例えやりたい事が全部できなくても、自分の生き様に従い、夢中で生きるのであれば、きっとそれは幸せな人生になるのだ。

 

 

だから結論としては、時間が無いなんて一々気にしないで自分がやりたい事をさっさ見つけてとことんやれば良い、ということである。

 

いや、別にやりたいことじゃなくてもいいのではないだろうか?

とりあえず目についた気になる何かにとりあえずとことん挑戦してみる。

それだけでも自分自身の全力を引き出し、満足した人生を送ることができるのではないだろうか?

 

先にも述べた通り、満足できるかどうかは自分がやりたいことが全てできた!

ということではなく、自分が全力で生きることができたか、という事に掛かっているのだから。

 

だから、誰もが満足した人生をまっとうできる可能性と秘めているのだろう。