現代においての人の縁とコミュニケーションについて

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飲み会というものがある、これは酒を酌み交わし、皆が楽しく明るく、自分の趣味を話したり、他人が好きなことを聞いたり、たまには一発芸などをして場を盛り上げ、コミュニケーションをとり、打ち解けあうための会合である。

 

旧来では、いかに、でかい声を出し、良く笑い、笑わせ、楽しませること。

そして、自分が恥をかくこと、なんでもいいから相手をいい気分にさせること、特に権力がある者に関しては特に気を遣って接することが重要だった。

 

そういうことをすることで、社会、会社での評価が上がり、仕事をもらう事ができ、出世ができるような時代だった。

 

つまりは旧来は上っ面でよかったのである。

いかに相手にとって最適なピエロを演じることができるか、それだけが最重要事項だった。

 

しかし、現代は違う。

 

現代はインターネットによる、仕事の細分化が進み、企業、組織としての在り方が変化していき、やり方によっては、能力によっては大規模な徒党を組むという必要性がなくなった。

 

だから、言ってしまえば権力のみを有する権力者に対して媚へつらう必要性がなくなったとも言うことができる。

 

これからは、そういった無駄な要素が必要なくなってきているのだから、飲み会、会議においても話の内容は変わってくるはずであり、また、旧来の様式では蔑まれてしまうことも出てくるだろう。

 

つまり、これからは無駄なものがなくなったからこそ、本音、本質に迫って話をする必要があると思うのだ。

 

本音でお互いに話し合うからこそ、深い話ができ、良い仕事に繋がるのだと思う。

 

なぜなら、本音で話し合うということは、人が本当に欲していることを本質的な部分で知るということであるし、より信頼できるパートナーが増えるということでもあるからだ。

 

人が本音に欲していることが分かれば、どのようなサービスを提供すれば良いかがわかるし、信頼できるパートナーが増えれば、より、できる仕事の幅が広がるからだ。

 

だが、現実ベースに沿って考えれば、本音だけで、飲み会を開催してしまったら、大惨事を招いてしまうのは想像に難くないだろう。

 

よってこれからは、旧来の飲み会の良い部分として、最低限のマナーをもって、失礼のないように、円滑に話し合える雰囲気を作る。

 

そして無駄な上っ面な部分を排除した飲み会として、できるだけ本音で話し合えるようにする。

 

要は、気遣いやマナーは、お互いが本音で話し合うための潤滑材なのだ。

という認識で飲み会ができれば、今以上に良い飲み会になるのだと思う。

 

無駄に気遣いばっかりして、疲れるだけの飲み会なんて何の意味もないですもんね。