ブランドと芸術性のあいだ

 

 

 

 

芸術性と独創性は似た部分が多いと私は考えている。

 

ただ単に歌が上手いだけ、模写が上手いだけ、記憶力が良いだけ。

 

そんな人はお金持ちにはなれるかもしれないけど、芸術家とは呼べないと思う。

 

やはり独創性という部分に強い魅力が存在しないと芸術にはなり得ないと思うのだ。

 

 

そして、今の世では昔に比べれば、芸術というものが世の中に登場し、商品として扱われる割合が増えたのだと思う。

 

世の中に登場した芸術が称賛を受け、人気になるとそれはブランドになる。

 

有名なものだと、シャネルとか、ブルガリとか、ルイビトンとかそんな感じのやつである。

 

はっきりとブランドと呼称されなくても、歌手や演奏家、画家の人達が創り上げるそれもブランドである。

 

ブランドというのは、少なくとも独創性が含まれなくては成立し得ないのである。

 

デザイン、構成などが周囲とまるで違い、かつそれが非常に魅力的であるから、それは人気を得ることができ、多大な利益をもたらす。

 

創業当時は勿論何の問題もないと思う。

 

自分の独創性が認められ称賛され、利益をもたらす。

 

さらにそれを多くの人に見てもらう、もしくは聞いてもらうために、徒党を組み、会社を作り、規模を広げる。

 

しばらくはそれで、皆が皆、仕事にやりがいを感じることもできるだろう。

 

しかし、その後からが問題なのではないかと私は思うのだ。

 

つまりはブランドが非常に多くの人達に認知され愛されてからの話である。

 

何が問題なのか。

 

ブランドに独創性が損なわれるということが問題なのだ。

 

ブランドというものは有名なものであれば、そのブランド名を出せば、それに付随するイメージというものが皆に定着していて、想起されるものである。

 

だからこそ、ブランドという商品の魅力が底上げされ、皆がそのブランドを欲しいと思うことができ、多くの商品が販売されるのである。

 

そうなると、そのブランドは皆の中に定着しているイメージを大きく超えた商品を作り出すことができなくなってしまう。

 

そうでなければ、それは別のブランドになってしまうし、安定した利益は得られないだろう。

(大きな会社、有名な会社が率先して取れる戦略ではない)

 

すると、そのブランドは次第に独創性を失い、今までと似たようなものしか作れなくなってしまう。

 

良い言い方をするならば顧客の期待に応える、伝統、歴史を守るということになるのだろうが。

 

つまりは今回の主張は

「発表するものは一緒なのに、初期と晩成期ではその精神性は真逆のものになってしまう」ということだ。

 

会社という形態がそれを行うのならば、それは良い面もたくさんあると思うのでいいのかもしれない。

(会社という組織においては挑戦して廃れるものあるし、保守し過ぎで廃れるものもあるので簡単には言えないのである。)

 

しかし、個人においてそれが継続されてしまうと、廃れる可能性は濃厚である。

 

昔取った杵柄にいつまでもこだわっている人が独創性を維持することなどあり得ない。

 

そしてそんな人間はあまり魅力的ではないのだ。

 

挑戦、大事。