レビュー:京極夏彦「死ねばいいのに」

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タイトルからは、

綺麗で夢に溢れた内容の小説ではないことは推し量れる。

 

その通りの内容であったが、だからと言って、破壊と絶望に包まれたまま終わった小説でもなかった。

 

主人公が一人の女性にまつわる人々と対面していく中で、その人達の誰もが、どうしようもなく、自分勝手で、自分の妄想だけで、思い上がりで、そしてつまらぬ思い込みで自分を縛り付けている様を見せつけていく。

 

そんな中、最後に放つ主人公の言葉、「死ねばいいのに」。

 

この台詞そのものを切り取って解釈するのであれば、きっとこの小説には何の救いもなく、絶望を語った小説だと考えられる。

 

しかしながら、私がこの小説を読み切った後に感じた思いはそうではなかった。

 

確かに希望の物語ではない、だが、自分という人間がいかに自分自身に囚われて、無駄に苦しんでいる。

 

そして、そういった苦境にある人物達を救済していく言葉こそが今回の「死ねばいいのに」である。

 

この台詞を言われた登場人物達は皆一様に、その言葉を頑なに拒否し、激高する。

 

現状の改善と自己の変革は実行しないけれど、このままでは生きていても、どうしようもなく苦しい、だったら死んでしまえばいい。でも死にたくない。

 

主人公にまつわる登場人物はこういった単純な構造で苦しんでいる。

 

簡単な理屈であり、どちらも得ようとするから余計に苦しんでいるのである。

 

そういった人間達に主人公は何の躊躇もなく「死ねばいいのに」この言葉を突き付ける。

 

この言葉の真意は、「欲望が首を締めて辛いなら、何かは諦めなくてはならない」という所のインパクトの強い表現であると私は考える。

 

この主人公の「死ねばいいのに」によって、色々な人達を喝破していき、物語の最後に行き付く人物。

 

その人物の存在により、「欲望と怠惰と汚い見栄にまみれた人達を痛快に主人公が迷いを晴らしていく」という、読者目線からすると卑しくも爽快な気分になるストーリーから、さらに味わい深い内容へと昇華される。

 

夢中になって読書をし、最後の展開に驚かされ、読後の気分としては、爽快ではないにしろ、何か身につまされる気分になった。

 

心に強く残る小説でした。