欲望は支配されるものではなく、飼いならすもの。

人は誰しも、多かれ少なかれ、種類は違えども欲望を所有している。

 

全くと言って0の人の生死は不明だが、

少なくとも社会での生活は不可能であろう。

 

生きるためには欲望は大切だ。

いや、欲望を成就するために人間は生きているのだと私は考えている。

 

欲望という表現そのものがあまり清純、清潔な印象を持たれていないようであり、

周囲の人達にこういった表現をするとあまり良い顔をされない。

 

なので、欲望という表現があまり好みではないのならば、

夢、希望、目標と置き換えて頂いても構わない。

 

その欲望ー生きるために必要不可欠な欲望ーは、

たくさんあれば、基本的にはやる気も行動力も高まるようになっている。

また、夢と希望に満ち溢れた人の表情というのは誰の目から見ても魅力的だろう。

 

逆に何の欲もない、

夢も希望もない、何の意欲もない人間はどんなに頭が良かろうと、

魅力的には映らないだろうし、一緒にいたいとも思わないだろう。

(例外的にその人と同種の人間は一緒に居たいと思う傾向がある。)

 

欲というのは、人間の活力のガソリンのようなものである。

 

しかし、欲というものはたくさんあれば、たくさんあるほど良い。

という訳にはいかないのである。

 

能力があるにも関わらず、

欲望が我慢できずに、悪事に手を染め失敗してしまった人間もいる。

欲望が多すぎて、一つのことに集中できずに成功できなかった人間もいる。

 

欲望を扱うにあたっては、「制御」と「切り捨て」の二つの要素が

不可欠である。

 

それができずに欲望に支配され行動する人間は失敗する。

 

だがしかし、欲望を自分の思い通りにコントロールすることができる人間は、

自分ができる限りの成功を収めることができる。

最善の人生を歩むことができる。

 

よって、今回は欲望のコントロールを、

「制御」と「切り捨て」という二つの大まかな観点から説明する。

 

「欲望を制御する」

あらゆる手法をとり、

欲望を成就に伴うリスクの低減や、成就の確立を向上することが、

欲望の制御である。

 

以下に、代表的な手法を述べる。

【解消】

最終到達点である欲望に「似ている」欲望を達成し、

一時的に欲のレベルを下げ、それにより、

欲の暴発などの予測されるリスクを回避すること。

 

【我慢】

その名を通り、欲望を我慢することである。

とはいえ、ただ座して欲望を我慢するという方法だと、

我慢の成功率は極度に低下するので、

他に夢中になれるようなことを探し、欲望から気を逸らすといった手法の方が

良いと思う。

 

【経路変更】

欲望成就までの道のりを、再考し、変更することである。

欲望に頭をもたげている人は、成就までの道のりを無意識的に

絞ってしまうことがある。

一度頭を冷やし、再考することにより、

より良い方法が見つかることなんていくらでもある。

 

 

「欲望を切り捨てる」

これは自分の中に欲望が集まり過ぎて、

全ては実行できない場合に、欲望を諦めるという行為である。

 

 

自分能力と寿命は有限であるので、

全ての願いを叶えることができないことをまずは認知する。

 

その上で、

自分の中にある欲望をリストアップし、

一つ一つの欲望に対してのコスト、リスク、成就した時に幸福感などを

考慮し、順位の低いものから切り捨てる、という手法である。

 

計画を立てず、何も切り捨てることができず、むやみに行動する人は

何一つ成就することができずに人生を終えてしまうかもしれない。

 

諦めるという言葉が嫌いなのであれば、最善を尽くすという言葉で

考えてもらって構わない。

 

自分の能力と寿命の中で、できる限りの事ができた人は幸福だと私は思う。

 

以上、二つの観点から欲望のコントロールについて述べた。

 

欲望に支配されると人生を失うが、

欲望を良く飼いならすのであれば、頼もしい味方になるはずだ。