仮に有能という人種がいるのなら、それは膨大な実践により作られる

 

 

 

 

自分にはできることがない、自分には能力がない、自分にはネタがない。

 

そう考えている人はいないだろうか。きっと沢山いるはずである。

そして私もその一人である。

 

有能な人というのは、初見のものでもすぐにできるようになるし、自分に能力がないなんてネガティブなことを考えている暇があったら能力の向上に励んでいるし、驚くほどに話のネタが尽きない。

 

なぜこれだけの差が付くのだろうか、常々考えてしまう。

 

当然ながら、生まれながらの能力の差はあるのだろうが、そんなことを言ってしまったら、話はつまらなくなってしまう。

 

なので今回は能力の差は考慮しないことにした場合、有能な人とそうでな人の差異はどこから生まれるのだろうか?と考える。

 

それは、見えているハードルがとても低いという点にあると私は考えている。

 

具体的に説明するならば、成果物の選定と質のハードルが低いのである。

有能な人は、今日あった何気ない出来事、毎日使っている音楽プレーヤーの話や、行きつけのラーメン屋、休日に楽しみにしている予定。なんていうことでも話のネタにする。それも面白おかしく。

つまりは、醸成の仕方次第ではどんなものでも立派な成果物になるということを知ってか知らずか認識しているということだ。

また、提出する成果物の質も初めのうちはあまり高くないこともあるが、有能な人はとにかく成果物の作成をし、提出する、ということを念頭に置いて行動しているため、繰り返していく内に技術の向上が行われていく。

結果として質の高い成果物を提供できるようになる。

 

なので、有能な人は最終的には、どこに行っても何を題材にしても優秀な結果を残すことができる。

 

というのが私の考えである。

 

まぁ、だからと言ってこれらを実践すれば、有能な人間になるかと言えばそうそう簡単にはいかないだろう。

 

しかしながら、今までよりかは有能の度合いが上がるのは確かだろうし、有能にはなれなくでも、お金持ちにはなれるかもしれない。

 

例えばだが、今自分の目に入る物の中から、適当なもの、直感的に気になった物をピックアップする。(できれば商品の類が良い)

その物体について、

  • どんな材料でできているか
  • 具体的構造
  • 作り方
  • 考えられるだけの用途
  • 類似製品
  • その物を使用して金銭を発生させる方法
  • その物を通して話のネタを作る

なんていうことを思考して、実際に調べて、実践してみるとそれだけで、話のネタが増大するし、知識量も増えるし、できることも増えるし、もしかしたらお金も増えるかもしれない。

 

話のネタは目の前にも、身近にも、どこにでもある。

ネタがあるということならば、できることも沢山ある。

できることが沢山あるということは能力があるということだ。

 

やれることがない、ネタがないなんて言えるのが不思議なくらいに、

本当にやれることなんていくらでもある。