小物から学ぶ、大物になる方法

 

小物の逆は大物 

 

簡単である。小物の逆をやれば良い。以上。

 

では話にならないので、もう少し話を掘り下げる。

 

小物という存在は世の中に沢山いて、自分が「あぁコイツは小物だな」と思うことは結構な頻度であると思うので、そういう人達の行動が小物の行動である。

 

代表的な例でいえば、他人を馬鹿にする、他人の足を引っ張る、悪口を言う、陰口を叩く、失敗の話が好き。

とかだろうか。

小物というのは、どうにも妬んだり、恨んだり、失敗を期待したりするけれども、自分では一切行動しないという不思議な性質がある。

行動しない癖に、他人には行動を求めるところがまた不思議である。

 

 

だったら、その逆をやれば良い。

他人のためになることをする、褒める、成功話が好き。

とにかく他人について良いところを見て、褒める。誰かの成功を願う。

他人が望んでいることがあったら、すぐに行動する。

 

こういった行動を心掛ければ、きっとあなたは大物になることができるだろう。やったね。

 

本当に上記に挙げた通りなのか?

 

さて、ここまでの文章を書いていて、私は一つの違和感、疑問点に気付く。

 

「本当にこれで大物になるのか?」

という点である。

 

どうにも私には違うと思ってしまうのだ。

そんなのは、私には、大物ではなくて、「他人にとって都合の良い人」でしかないのだろうか、と思う。

 

 

つまりは大物になるために必要な要素は小物の逆をやれば良い。

という観点そのものは正しいと思うが、ひっくり返すところがきっと間違っている。

 

依存心こそが大物と小物を分ける

 

小物が小物であるが故の性質とは

「他人に依存している」というところである。

 

他人のやることなすことが一々気になってしまう人が小物なのではないかとということだ。

 

その点は他人を褒めようが、他人のためになろうが、他人を主として物事を考えるという時点で何かおかしい。

 

無論、他人のためになりたいという人の気持ちを非難するつもりはない。

他人のためになることと、他人に依存するということは似ているが全く違うことである。(これを混同している慈善者はおそらく相当数存在する)

 

ここでの問題点は、

自分の思考、発想、行動というものが、他人に振り回されている人は結局の所、どんなことをしようが小物であるということである。

 

つまり、大物になるためには、

小物の、他人に依存するという性質を逆転させなければいけない。

要は孤高の存在になるということである。

 

それこそが大物の特徴である。

 

大物だから周囲の言葉が気にならない、だって周囲に依存しないから

 

故に大物でも、色々な事に毒を吐き、連日ツイッターなどを炎上させている人もいる。

大物でも普通に暴言の類は吐くのである。それでも大物なのである。

 

大物かどうかの境界線は炎上するかどうかではなく、炎上した時にどう対応するかということなのである。

 

言われれば当たり前のことだが、大物だからといって皆が皆善人ではないのだ。

 

大物になりたいと考える人がとる行動として、大物のコミュニティに入る人がいる。

重要な情報だけを抽出して学習できるのなら、それは良いことなのだが、大物のコミュニティに帰属、依存することで満足感を得ている人は非常に多い。

 

そして、コミュニティに入るだけで大物になった気分になっている人なんかもいる。

おそらくその人の小物度はむしろ向上しているだろう。

 

故に結論としては、

大物になりたいならば、孤高の存在になるべきだし、自分で考え行動する。という思考が主軸になっているべきである。

 

他人に依存する人に依存したいと思う人はいない。