人間はみな成長する。でも成功する人は積極的に成長する。

 

成長と色々

 

何かに慣れる。それが人間の成長である。

 

何かに慣れるということは、何かを学んでいるということだし、自分自身に変化が起こっている証拠である。

体や脳は着実に変化していく。

 

その変化を繰り返し、現在いる環境に適した人間になることができたならば、その環境での成長は完了である。

 

毎日、勉強すれば今以上に頭が良くなるし、毎日走っていれば、今以上は走るのが速くなるだろう。

 

そうしたことが成長である。

 

本当にそうなのだろうか?

 

成長するということイコール、環境に適応するということなのだろうか?

 

確かに、アルバイトにしても仕事にしても、最初はその仕事が大嫌いで、仕事も全く何もできなかったことでも、長く続ける内にできるようになれば、きっと周囲からは「成長したね」と褒められる。

 

褒められたらうれしくなって、仕事が好きになって、自分ができるようになったことを思い返して、自分は成長したんだなぁと実感する。

 

確かにそれは成長と呼んでもいいのかもしれない。

しかし腑に落ちない。

 

どうにもその成長には自分の意志が感じられないのだ。

 

受動的成長と積極的成長とでも言えばいいのだろうか。

 

先に挙げた例は、受動的成長である。

 

成長と速度

 

興味がない、やりたくないことだけれども、仕方なくやっている内に少しずつでも次第に環境に適応していき、上達する。

 

快適な環境にて、上達した自分が存在するのであれば、その仕事にも多少の愛着が湧く。

こういう成長でも確かにそれなりの幸せはあるのだと思う。

全ての人がやりたいことをやりたいようにやることができる訳ではないのだから、そういう生き方を否定するつもりは全くない。

というか、最初は嫌々でも、最終的には自分の仕事を好きになることができるのならば、それは素晴らしいことなのである。

 

しかし、それに甘んじるという行為を絶賛すべきでもないと思う。

やはりそれは受動的成長だからだ。

 

自分の意志、意欲が薄く、流されるままに生きてしまうという成長だからだ。

 

受動的成長が環境に対して自分を適合させる成長であるならば、積極的成長は自分がなりたい理想に対して環境を選んだ上でも成長である。

 

だから、自分の欲しい能力、やりたいことに近い環境で仕事をすることができる。

そうなれば、自分の理想に対してもの凄い速度で向かうことができる。

 

受動的成長に比べれば、何十倍も速いことだろう。

 

自分のやりたいことならば、ストレスも溜まらないし、好きこそものの上手なれという諺もあるように、学習効率も良い。

自分の理想へと実現可能な限りで最速で進めることができるのだ。

 

だから、夢を持つ、欲が多いという人は成功しやすいのである。

 

自分の今いる環境に甘んじては効率は良くないのだと思う。

 

成長と選択

 

プロの野球選手になりたい人がプールで「野球選手になりたいなぁ」と適当に何十年も泳いでも、大した野球選手にはなれないだろう。(水泳では名を上げるかと言ったら、おそらくそんなこともないだろう、水泳選手のプロはもっと効率的に練習をし、トップになりたいと本気で願って努力している)

 

自分にやりたいこと、なりたいものがあるならば、そこを最優先するべきなのだ。

そこを踏まえた上で、最適な環境はどこなのかを考えるべきなのである。

 

プロは環境や道具もちゃんと考えて、適切な選択をしています。