人生が退屈でつまらないと思う人は「驚き」の感情を有効活用しよう。

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驚いた後ってなんかいつもよりも景色が新鮮に見えるよね 

 

驚く時がある。

日常とは違う何かが突然やってきて、その何かに人は即座に対応する術を知らず、それにより思考は凍結し、体は硬直する。

発せられるのは声だけ、そんな状態が驚きである。

 

驚きというものは感情の一種だが、喜びとか悲しみとかと違っている点は、驚きそのものにプラスもマイナスもないということだ。

 

嫌なことがやってきても人は驚くし、愉快な事がやってきても人はまた驚く。

 

驚きという感情、反応は、その人の許容できる情報を超えた時に心が脳がそれをなんとか処理しようと懸命に働いている状態でもある。

 

切り詰めていうならば、驚きというものは感情ではなく、生理状態の一種と言った方が適切なのかもしれない。

 

驚かない日常は

 

とそんなことを考えている内に、自分は最近驚くことが少なくなったなぁ、それもプラスの意味での驚きというものが少なくなったなぁ、なんてことを考えた。

 

人生経験を少しずつ積んでいけば、似たような出来事に遭遇する確率は上昇する。

 

似たようなことに対して驚きを感じるというのは人間には難しい。

 

似たようなことには、人間の今までの経験値を総動員して対応することで落ち着いて、冷静に対処するように反応するようにできている。

 

なんにでも驚いて生きていたら、心臓が持たないし、物事に上手く対処できないから、そんな生物は生き残れないのだろう。

 

だから、生き残れる人間は学習によって、経験値を得て驚きを日々、克服していっている。

 

その克服するという行為により、その人間個人の能力と将来をより良いものに変えていっているのだが、その行為の代償には退屈と飽きという現象が発生してしまう。

 

そして、人間は退屈と飽きには滅法弱い。

 

無為に永遠と耐えることができる人がどれだけいるのだろうか?

仮に存在するとしてもそれは極々少数である。

 

退屈は人生を腐らせてしまう

 

ならば、人間はまた新たな驚きを求めて、退屈と飽きから逃れるのかというと、実はそうでもない。

 

退屈と飽きという人生から逃れられずに生き長らえる人というのは結構いるのだと思う。

 

先ほど、無為に耐えられる人は極々少数だと述べた。

矛盾しているではないか、と思われる方もいるかもしれないが、誤解しないで欲しい。

 

退屈と飽きから逃れられない人は結構いるが、その中で、その退屈と飽きに耐えられる人は極々少数だという主張をしたのである。

 

つまりは、

退屈や飽きから逃れられない人(たくさん) - 耐えられる人(少数) = 退屈と飽きに人生を絡めとられ、それに耐えきれず、死んだように生きる人や生きることを諦めた人(結構な数)

 

ということである。

 

驚きは人生に新鮮さをもたらす

 

退屈は泥沼である。

 

退屈は人生を灰色に変えるし、その灰色から抜け出したくないと思わせる呪縛みたいな効果もある。

 

その呪縛に気付かず、いつまでも現状維持ばかりに専念し、自分の不満を心に押し込めていると、いつかその内、自分の中にある挑戦意欲や、希望みたいなものがどんどんと影を潜めてしまう。

 

そうしていく内に、人間は退屈の埋もれてい死んだように生きてしまう。

 

その呪縛から脱出するための方法の一つが驚きなのである。

 

驚きは退屈の真逆であるといっても過言ではない。

 

そして、驚きは自分で引き起こすことができる事柄である。

なぜなら、先ほど述べた通り、驚きは感情というよりは生理反応に近いからである。

 

生理反応であれば、ある程度自分でコントロールすることは可能である。

 

だから、日々の生活で念頭に置いておくべきは、驚きが人生に新鮮さを生む、退屈から脱却する方法であるという事実である。

 

それを認識しておくだけでも、人生つまらないな、と思った時にふと即座に行動する癖みたいなものが身に付きやすくなる。

 

その驚く習慣が自分に身に付いたのならば、人生に退屈する機会は格段に減ることだろう。

 

いつもは通らない道でもいい。

いつも見たいジャンルの映画でもいい。

今までの自分の行動スタイルでは絶対やらないことに挑戦してみるのもいい。

 

驚きというのは、探してみれば驚く程にたくさん見つかるものだ。