イロトカタ

純然たるイロトカタです


欠点や穴に固執して完璧主義に陥るのは良くないと思う。

 

見えない所に興味は注がれる

 

穴を埋める。

 

パズルとかをやる時の意欲というのは、知的活動を行いたいという欲求よりも、穴を埋めたいという欲求の方が強いのではないかと最近感じる。

 

穴というのは不思議なもので、あるのかないのかもよくわからない存在であるし、にも関わらずその穴があると感じるとどうにもそれを埋めたいと感じるのが人間である。

(特に男性には非常にそういう傾向があると感じている。)

 

穴といっても色々な穴があるのだけれど、大概の場合は穴というのはあまり良くない考え方をされる。

 

欠点だとか不足という意味に捉えてしまう人は非常に多い。

 

そう感じるが故に、例えば、学生の頃に作文の課題などがあると、特に意味も内容もない文章で、とにかく作文用紙を黒色で埋め尽くすという人は多く存在した。

(まぁ、逆にいかに改行を用いることによって、いかに文書を書かずに済むかということに挑戦していた人もいたのだが、)

 

決められた枠の中に空白があることを耐えられない人は多い。

空白は無駄だと考えてしまう人は多い。

 

そういう人は、欠点を長所として見ることができないし、文脈に意味を感じることも難しいだろう。

 

つまりは、一見マイナスに見えるような物事に意味を見出すことができないということだ。

呼称するならば、完璧主義者というのが妥当であろうか。

 

空白がない事と完璧はイコールにならない

 

何もしていない期間があることに耐えられないし、自分のスケジュール帳に予定がぎっしり詰まっていないと不安になるタイプのことである。

 

では、仮に自分のスケジュール帳に毎日予定がぎっしり詰まっていたのならば、それは穴がないという状態であるのだろうか?

 

もっとミクロ的な観点で考えるのならば、その予定の一つ一つの中にも、無駄な時間、何もしていない時間、退屈な時間というものはきっと存在するだろう。

 

細かい目線でいうならば、ぎっしり予定が詰まっている人にも穴はある。

 

他の例えならば、子供の頃から天才で、通う学校は誰もが尊敬し、憧れるような有名かつ、超優秀な学校だけであり、いつも成績は優秀である。

 

そんな人であるから、当然あらゆる学問に精通しているのだが、学問という所を微細に観察してみると、ある特定地域にしか存在しないマイナーな学問には全く縁がないということもある。

 

あるゆる学問に精通している人はいるが、全ての学問を成就させている人はいないということである。

 

このことにより何がいいたいのか?

 

全ての欠点は解消できないが、全ての欠点は長所に言い換える事はできる

 

穴なんてものは無限に存在するので、全ての穴を完全に埋ることは不可能である。

ということだ。

 

野球はできる、しかしサッカーはできないというのならば、サッカーを練習すればその穴は埋めることはできる。

 

だが、男である、しかし女ではない、という状態の穴を完全に埋めることはできない。

 

仮に女になったとしたら、その時点で男ではないのだから、穴を埋めることにより、穴は生成させる。

 

モグラ叩きやいたちごっこよりもタチの悪い性質を持っているのが、穴である。

 

全ての事象を完璧に埋めることができないのは確かなことである。

 

欠点を埋めたいという願望は多くの人間が抱えているはずだ。

しかし、その欠点を埋めたことにより、また新たな欠点が発生する確率は否めない。

 

まずは自分の欠点を長所としても見ることができるのではないだろうか?

という観点の方が、穴を埋めるよりも大事なことであると思う。