頑張る事が正義!って考えもいいけれど、分相応という思考で自分の最善の状態を作る事も重要。

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徹夜して頑張ってる感じに惹かれてしまう 

 

眠い時はあんまり作業効率が良くない。

 

まぁ、脳が疲れたから休めっている信号を出し続けているのに、それを無視して起き続けるといのは、ブレーキを踏み込んだまま前進しようとしているようなものである。

 

余計な体力を使用し、尚更疲労してしまうこと請け合いである。

 

だったら、さっさと眠ってしまえばいいのだろうが、気持ちだけはやる気満々で体が追い付いていないみたいな状態の時って中々眠りにつくことができない。

 

布団の中に入っても、布団の中でできるような何かを始めてしまう。

例えば、スマホをいじるとかである。布団の中でスマホは中々至福の時だというのは確かであるが、生産的な時間を過ごせているとは言い難い。

 

そもそも、私は睡眠するために布団に入ったのだ、スマホを使うためではない。

 

そうして、何やかんやスマホでの時間を楽しんで、ブルーライトの光を存分に受け、精神のみがまた元気になり、明らかに体は「さっさと眠れ信号」を出しているというのに活動しようとしてしまう。

 

明らかに非効率である。自分自身に言って聞かせてやりたい。

 

頑張る事こそが重要!という悪習

 

どうにも私だけに限らず、人間に多いのか日本人に多いのかわからないけれど、

「何か頑張っている感じ」が好きな人というのは多いなぁと思う。

 

実質的な効率は良くなくても、なんか頑張ってるなぁと周囲から思われたり、よく頑張ったなぁと自分自身で思うことができるのならば、それで満足してしまうという心情は全くもってよろしくない。

 

そういうのが、過剰な精神論とか根性論を生んでしまうのだろうし、無駄な効率の悪い時間を発生させてしまうのだろう。

 

そうである、だから眠いのにさっさと眠らない時間はよろしくないのである。

 

しかし、人間は理屈と感情を併せ持っている生き物である。

故に、理屈がいくら正しかろうと、感情のエネルギーの方が強いのであれば、どんなにバカげた行動でも選択してしまうのである。

 

感情がどのような法則で行動をコントロールするのかというと、自分の中にある理想を基準にコントロールする。

 

例えば、憧れている人がプロのビジネスマンで、一日三時間しか寝ない、みたいなことを豪語していると、自分の体質的には明らかに不可能であるのに、それを実践しようと試みてしまう。

 

理屈として、私とその憧れの人は違うと分かっていても、現在自分が眠くてたまらなく、効率なんて全くのないと認識していたとしても、理想のイメージというものを追っていしまう傾向がある。

 

その傾向があるから、自分の才能に見合った行動を取ることができずに失敗してしまう人というのも存在するのだ。

 

分相応

 

理想を追い求めることは大変結構なことではなるのだが、安易に自分の理想というものを決定してしまうのは後々面倒臭い思いをすることもある。

 

当然何もしないで部屋の隅っこで絨毯のほこりを取ることで一日を過ごすよりかはマシだろう。

 

しかし、自分の才能に見合った十分に実現可能であろう理想というものは探せば結構あるはずである。

 

そして、それは夢物語みたいな荒唐無稽、机上の空論的な理想を無意識ではできないと認識しつつも追い続けるよりかは、よっぽど楽しいはずである。

 

きっと私の眠いけど眠らないという行動も、ナポレオン、明石家さんま、京極夏彦といった偉人の話を聞きすぎたせいでの行動なのだろう。

 

一日三時間睡眠で毎日元気に動き回れたらいいなぁと心底思うけれど、まぁそれは仕方のないことなのだろう。

 

さっさと寝よう。