飲み会で媚びへつらって評価を上げようとする人のダメさ。

きっとこの記事を読み始めた人は飲み会が嫌いなんだと思う

 

飲み会がある。きっと会社に勤めている人ならば、大体の人にある。

 

飲み会は楽しいだろうか?

 

面白いだろうか?

 

わくわくするだろうか?ねぇ?

 

答えは人それぞれだが、まぁ私はあんまり気が進まない。

 

飲み会に行けば行ったでそこそこ楽しめるのだが、行く前は憂鬱の極みである。

 

つまりは、あんまり飲み会には行きたくない派である。

 

そんな飲み会には行きたくない派からすると、飲み会というものを冷静に考えてしまうことがある。

 

飲み会とは何のためにあるのだろうか?

 

飲み会という名称がついてはいるが、お酒を飲むために飲み会がある訳ではない。

お酒はあくまでも手段である。

 

では何のためのお酒なのか?

 

お酒は人の心を緩ませ、楽しくさせる効能がある。

 

ならばその心理状態になることによって何ができるのか?

 

本性をさらけ出しで話し合うことと、他人に好かれやすくなるということである。

 

飲み会が好きで、本性をさらけ出して会話をすることに対して喜びを感じる人に対しては好感がもてる。

私とは違うタイプであるが、それでもそういうがいたら職場はやりやすくなるだろうなと思う。

飲み会の効能としては、仕事というお堅い雰囲気の中では中々話せないことを話し、その後の仕事そのものの雰囲気を良くするというものがある。

そういう部分では飲みの席も仕事の効率向上に繋がる部分もあるのだろう。

 

だから、飲み会によって発生する心理状態の前者は全然問題ないと思っているのだ。

ならば、何が気に食わないのか、勿論後者である。

 

媚びへつらいで得られる成果とは

 

気に食わないという表現は言い過ぎかもしれないが、私には理解できない事柄である。

 

私が接待とか、出世競争とかいうものを経験したことがないからこういう事を平気で言えるのかもしれないが。

 

若い人が上司に媚びへつらうメリットって、そんなにないよね?

と思うのだ。

 

そりゃあ、まぁ有名大企業に勤めているような人で、その企業に骨を埋める覚悟で働いている人ならばわかる。

上司に媚を売る事ができるかどうかが、出世の分かれ目になり得るだろうから。

(昔なんかは上司のカバン持ちだけをひたすらやって偉くなった人もいるらしい)

 

でも、いつ潰れるかも分からない、さほど大きくもない企業に勤めている人が毎回の飲み会に精を出して好きでもない上司に媚びへつらっているのはどうにも理解できないのである。

 

若いのだから、大して大きくもない企業の大して好きでもない人に媚びた所で、仮にそれで昇進したとしてもたかが知れていると思うのだが。

 

そんなことをしている時間と余裕があるならば、勉強してもっと良い企業に勤めた方がいいのではないか?

とそんなことを思う。

 

確かに最近の若い人は、態度も悪いし、飲み会にも参加しないのだから、そういう若者の中で自分だけが突出した存在になれれば、注目され活躍できるかもしれない。

 

特定個人に依存しきるというリスク

 

でもやっぱり、そういう向上意欲があるならば、飲みの席の能力は最低限にしておいて、仕事の能力の向上に努めた方がいいのではないかと思う。

 

なぜそう思うのか?

 

特定の上司に媚びへつらっても、その人が失墜したり、会社が倒産したりしたら、積み上げたものが無駄になってしまう。

能力さえあれば、どんなところでも食っていけるということである。

飲みのマナーは最低限さえ身に着けておけばどうにでもなる。

 

要するに、生き延びるという観点において非効率なのである。

 

媚びた上司に一生養ってもらえるのだろうか?きっとそんなことはないだろう。

 

だからといって、能力だって積み上げれば一生食べていけるという保証がある訳ではない。廃れる技術だって此の世には存在する。

 

しかし、小さな会社の上司なんてタカが知れている。

研鑽する能力は自分で選べるし、その中に非常に価値が高いものも存在する。

 

価値の高い能力を身に着けることができれば、上司に媚びる必要などなくなり、自分が上司となり、部下に指示して仕事を行うことができる。

 

飲み会が面倒だと思ったら、能力を向上させよう。

 

仕事ができる人、能力がある人は、多少他に変な部分があっても見逃してくれるものである。