コミュニケーション能力が足りない原因【理解してもらえない人へ】

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 コミュ力ってなんだろう

 

コミュニケーション力があるとは何だろうか?

 

人は当然ながら、皆違う性格、考えを持っている。

 

それぞれ違う考えを持っていても、それぞれの人の考えに対応して話を合わせることや、相手の好感を得ることができる、というのがコミュニケーション能力なのだろうか?

 

ならば、100人中90人と仲良く話すことができる、コミュニケーション能力(コミュ力)が高い人でも、残りの10人とは全く円滑に話すことができない、という場合もきっとあるだろう。

 

そういう場合でもコミュ力が高いというのだろうか。

 

だったら、少ない人数で構成されている組織で、自分と関わる人が全て、残りの10人だった場合は、その人はコミュ力が低いという結果になるのだろうか?

 

全ての人間と仲良く話すことができる人が存在するとは思えないから、そういう場合があってもおかしくはない。

 

そう考えるのならば、コミュ力が高い人というのは、最大公約数的に好かれる要素を持っているという性質があるのか、もしくは、たまたま自分の性格がその環境に合っていた、ということになるのだろう。

 

もし、後者の人間が「自分には絶対的なコミュ力がある!」なんて思い込んでしまった、いざ全く別の新天地に挑戦した時に上手にコミュニケーションが取れなかった、なんてこともあるんだろな、大変だな。

 

理解されない辛さ

 

で、そんな話とは話はちょっとずれるのだけれど、

自分の考えが相手に伝われなかったり、相手の言いたいことが理解できなかったりすると大変だよね。

理解してもらうにしても、理解しようにしても、膨大な量のエネルギーを使用してしまう。

悩んでいる状態というのは何であれ非常に疲れるのである。

 

どうして理解されないのか?

どうして理解できないのか?

 

そういう時はそういう事を頻繁に考える。

 

そして思い当たる点はただ一つ。

 

「相手の考えている事を推測、想像しながら話すことができていない」という点が問題であると、私は思い付いた。

 

結局はそこなのだと思う。

 

理解して欲しいならば、まず相手の事を理解する必要がある

 

相手が今どのような点が分からないのか、どこについて気になっているのか、何について深く知りたいのか。

 

そんな相手の気持ちをないがしろにして、自分が言いたいことばかりを相手に浴びせかける説明では、きっと相手は納得してくれない。

 

相手が欲しいと思っていることを伝えられるから、情報としての価値が出るのであり、理解されるのである。

 

パズルでいう所の、同一ピースが何枚も入っているような感じである。

そんなの不良品である。

 

ぷよぷよでいうならば、同じ色が一切降ってこないようなものである。

ぷよが消えないし、連鎖もできなくてつまらないじゃないか。

 

理解してもらうということは、自分の持っている情報をただただ伝えるということではなく、相手に不足している情報を埋めるということである。

 

自分の情報を垂れ流しにしても理解されることはあるが、それは本質ではない。

下手な鉄砲が数撃ったら当たったというだけの話である。

あんまり器用でもないし、利口でもない。

 

それにこの場合、相手が欲しいと思っている部分が理解できていない訳だから、短時間で回答することはできないし、それでも相手が理解できない時に、なぜ、どこが理解ができないのかということについて分からない人になってしまう。

 

当然だが、目標のど真ん中に一発で命中させるのが一番クールである。