「適当さ」という名の武器。「真面目さ」が害悪になる時。

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 真面目と適当はどっちが利益を生むのか

 

真面目なのと適当なのはどちらが良いことなのだろうか?

 

多くの人は「真面目な方が良いに決まってんじゃねーか!」とお答えになると予想する。

 

私だって公共の場で同じことを質問されたら、「真面目こそが人類の歴史を紡ぎ、文明、科学の発展に貢献し、新たなる未来の築いていく要因になることは、数々のデータから明らかであることは当然のことであると思います、かくいう私も真面目でねー、うんぬんかんぬん」と述べるに決まっているのだ。

 

しかし、しかしである、公共の場から離れ自分の快適な空間、何を発現しても許される空間に舞い戻った時、空気を読みまくって空気に圧迫され過ぎて体を疲労させた後の自分の思考、行動を辿ってみると、おそらく多くの人が適当であるのではないだろうか?

 

詰まるところ、適当というのは楽である。

ここに異論を唱える人はそう多くはないだろう。

 

真面目さの特徴

 

だがきっと適当な方が生産性や効率って良くなるよね?

と聞かれたら、それもまた多くの人が反論するだろう、「そんなワケナイダロ!」と。

 

しかし違うと思うのだ。案外適当な方が上手くいくという場合もあるのではないだろうか?

 

その結論に至るためには、まず真面目ということが何か、そして真面目によってどのような得があるのかを考えなくてはならない。

 

真面目とは何か?

「組織や個人の上で決められたルールを忠実に遂行すること」

これが真面目の概要である。

 

ならば、真面目によってどのような得があるのか?

「決められたルールで自分を含む皆を縛りつけたりして、規律性、統一性を高める」

ということになる。

 

だから真面目過ぎる人というのは大抵の場合、あまり良い印象は得られない。

一般大多数の人は大体のルールは守るけれど、精密に遵守したりはしないからである。

 

しかし、こういった人が全く存在しないとなると組織は成立しないだろう。

組織は一つの目的に対して複数人で協力して達成しよう、というのがコンセプトだからである。

 

よって、組織において真面目というのは役に立つ。

 

適当さが利益になる時

 

ならば、適当というのが生産性や効率が良くなるというのはどういうことだろうか?

 

先ほど言った通り、適当というのは楽なのである。

なぜ楽なのかというと、自分でやらなくて良いと思ったことに対してはやらないからである。

 

そこに生産性や効率向上のヒントがあると私は思う。

 

組織で運営するに当たって定められたルールというのは、場合によっては形骸化しており、現在では全く不要かつ有害なものになっているケースがある。

 

しかし、周囲がその状況に慣れ切っているせいか、全く改善されないことがある。

 

そんな時に適当という思考を利用してみると、本質が見えてくることがある。

「あれ、これって利益に関係あるのかな?」と思うことができる状態というのは、世間体を気にしてルールを遵守している精神状態ではなく、できるだけ楽したい、必要な部分だけはしっかりやって無駄なところは排除したい、という精神状態である。

 

だから、組織に真面目な人は必要だが、個人及び組織においては「適当さ」という要素を取り入れることによって、その対象は今まで以上に活性化するだろう。

 

真面目というのが「堅実」なのであれば、適当さは「革新」である。

 

肩の荷を降ろしてリラックスする時間は至極重要である。