時間切れという名の卒業だけは避けて通りたい。

スポンサーリンク

 

卒業ってなんだ?

 

卒業するというのが最近の流行りらしい、というかこの季節ならば毎年繰り返されるイベントの一つなのだろう。

 

卒業するというのは何だろうか?

 

おおざっぱなイメージならば、とっても大切な時間が終わってしまうけれどもそれは新たな世界への旅立ちなのだから、とても素晴らしいものなんだよ。

みたいな感じである。

 

改めて卒業というものを考えてみると、正直よくわからないなぁ、というのが印象である。

 

免許皆伝ではないのだろう、しかし打ち切りという訳でもないのだろう。

だが、卒業という言葉からは何かからの解放という印象は絶対にある。

例えば、支配からの卒業という奴だ。

 

一定期間、何かに拘束されることを前提として契約が終了することを卒業というのだろうか?

どうにも無機質な印象になってしまったが、確実に言える要素はこの程度ではないだろうか?

卒業には二種類ある

 

そもそも卒業というのは、「する」ことなのだろうか、「させられる」ことなのだろうか。

 

前者の支配からの卒業というのは、能動的な「する」行為なのだろう。

しかし、3月に行われる卒業式ならば受動的な「させられる」行為なのだろう。

 

ますます卒業という言葉の意味というのは分からなくなる、曖昧な言葉なのだろう。

 

ただもうちょっと前に進んで考えてみるならば、卒業というのは、できるのであれば自分で解放、離脱しなくてはならないものであるが、タイムアップになってしまったら無理やりにでも解放、離脱させられるという性質をもっているのだろう。

 

だから、卒業という言葉にはきっと人によって様々なイメージを持っているのだろう。

 

泣く泣く卒業した人もいるだろうし、この生活から解放されることが嬉しくて仕方なかった人もいるだろうし、自分自身でしっかりと壁を乗り越えた上での、消化試合、儀式的なものになるだろう。

 

卒業とリミット

 

人生には時間というリミットがある。

よって、乗り越えたい事についても時間制限というものは存在する。

そして、何を乗り越えたいのかということも予め考えておく必要がある。

 

少なくとも、何かから卒業させられてばかりいる人は、次の生活でも漠然と日々を過ごし、また次の卒業式により無理やりにでも追い出されてしまうのだろう。

 

どうして私はここにいるのか?

この期間の間に何をしたいのか?

何を乗り越えたのか?

それらを思考することで、卒業という言葉の重みが少し変わってくるのではないかと思う。

 

当然、学生だからといって勉学の向上だけに励むのではなく、他者からの依存だったり、自分への甘えだったり、怠惰だったり。

 

きっとこの時期この季節だからこそ、乗り越える壁は希望と共に見えてくるのだろう。