批判は麻薬になるから、用法用量を正しく守ってご使用下さい。

 

 

他人をバカにすると、自分の頭が良くなった気分がする

 

なんでも批判すれば、自分が優位に立った気がする。

 

だから、他人にケチをつけるのは面白い、快感になってしまう。

 

それこそ、ケチをつけている人が有名人だったりしたら、本人の言うことに心から同調していようが、上っ面からの賛同であろうが、きっと絶大な支持を得る場合もある。

 

その時、ケチをつけた人間はどのような気分になるだろうか?

 

他人を批判し貶めるのは楽しい!

 

となってしまう確率は高いだろう。きっと誰もそれを認めたりはしないだろうが。

 

善意の批判で人は暴力を振るう

 

きっと無意識的にも自分は他人のために、世の中のために言いたくないけれども、あえて言ってあげているのだよ、という気分でいるに違いない。

 

他人から賛同を得なくても、他人にケチをつけるという行為はどこでも行われているのだし、それなりのガス抜きになっているようである。

 

ただ、批判は麻薬である。

 

中毒性が絶大であるし、本人の能力を向上させる類でもなし、ましてや本人の感情を幸せな方向に導く類でもない。

 

無闇に使用すれば、それはただの毒吐きである。

 

無論、批判は必要だ。

 

間違った人間に対して意見をすることをとがめるつもりはない。

 

しかし、批判を行う時はいつも自問自答をしてから行うべきであるのだ。

「自分のこの批判は、自分の快楽のためなのか、他人、世間のためなのか」と。

 

その点を常日頃から気をつけて発言していかなくては、簡単に批判の泥沼にはまってしまう。

 

中毒になるのは簡単なのである。快感だと思うことを沢山やればいい。

 

そして、他人を批判するというのは、幼稚なレベルであれば非常に簡単なのである。

小学生でもきっとできるだろう。

 

良い批判と悪い批判ってなんだろう

 

だったら、良い批判と悪い批判というものが此の世には存在するはずである。

つまりは小学生でもできる批判というよりかは悪口、誹謗中傷という方が適切であろう批判と、そうでない正当な批判というのは何が違うのだろうか?

 

それを考えて、発言を行う前には自問自答をするからこそ、批判は意味を成してくるのである。

 

という訳で良い批判と悪い批判を分けるポイントを考えてみる。

 

考えてみた。

 

何がそれを分けるのかというと、批判について

  • 根拠があるのか
  • 具体的であるのか
  • 論理的であるのか

 

ということがポイントなのだろう。

 

バカには論理は通じない

 

よくよく考えてみれば、これって討論の基本原則である。

 

批判というのだから、人と人との意見の交換である。

だから討論の原則が適用されてもなんら不可思議な箇所はない。

 

ただ惜しむべき点は日本で討論というと、単純に大声で怒鳴り散らしたり、相手を脅したり、傷つけたり、バカにして笑いものにする方が好まれる傾向にあるし、それが普通だという節もある。

 

それに、やっぱりその方がメディアとしての盛り上がりとしては大きいのである。

 

正しい方法に忠実で行う批判なんて誰も面白くなくて見ないのである。

 

それよりも、なんか大物っぽい人達同士が、大声で怒鳴り合って、バカにし合って、訳のわからないことばかりのほざいている方が皆スッキリするのである。

 

だから、この世の中からは批判という名の悪口、誹謗中傷は消えないのである。

 

結局は、変な批判を受けたらさっさと逃げましょうということである。

 

馬鹿を論破することなんて誰にもできやしないのだから。