大人になったら最後、一生子供の気持ちは理解できないでしょう。

 

子供の正義と大人の正義

 

人にやさしくできたらいいな。

 

そのために人の気持ちが理解できたらいいな。

 

そうしたらその人して欲しいことを自分がやってあげることができるのに。

 

そんな感情を子供の頃は確かに持っていたはずなのに。

 

大人になったら、人の気持ちを察する努力はするけれど、

確かに人の気持ちはわかるようになったけれど、

それは自分の利益のためだという確固たる確信がある。

 

大人になって自分で生きていくということを意識した時に、人はお金を意識する。

 

お金を意識するということは、自分の元にお金を引き寄せるということであるい、他人からお金を奪い取ることでもある。

 

きっとその辺が子供と大人の境界線なのだろう。

 

お金をキッカケに子供は大人になる

 

お金がなくても生きていけるという妄想と、お金がなくては生きてはいけないという現実。

 

妄想を実現することは、ただひたすら現実を生きることよりも難しい。

 

現実を生きるだけでも厳しい現状にありながら、理想を追求することは非常に困難を伴う。

 

だから、人は子供の頃の理想や願望というものを一切捨て去って、綺麗さっぱり忘れ去って、現実こそが最上だと自己洗脳し今日を生きる。

 

大人というのは子供を頃を経験したことのある生き物だから、子供の気持ちはしっかりと理解することができる、という論説があるが、それは無理である。

 

なぜなら、仮に子供の行動そのものが読めるとしても、大人の価値観に染め上げられてしまった大人は子供の価値観に合わせて物事を思考することができない。

 

だから、子供の気持ちを理解することはできない。

子供が心から大切だと思うことができることの理由を、経緯を知らないのだから、例え行動を読めたとしても、それは子供を理解したことにはならない。

 

よって、大人は子供が言う「人にやさしくしたい」という思考を底の底まで理解することができない。

 

基本的に子供の思考と大人の思考はすれ違う。

 

金銭と一生関わらなければ

 

その思考のずれが存在しないケースもある。

 

それは非常に単純であるが、実践が非常に難しい条件である。

 

それはお金である。

 

お金に不自由しない大人はきっと子供の心を本当に理解できる人間であることだろう。

しかし、ただお金に不自由しないというだけではダメである。

自分で財を成すことにより、お金に不自由しない人間になったケースはダメである。

お金を通して味わった人間の欲望、汚さ、裏切り、失望なんかが凝縮されてその人の中に詰め込まれているからである。

 

いくらお金の束縛から解放された人間であるとはいえ、こんなものは一種の中毒者と化している。

 

お金という概念からは完全に自由になることはできないだろう。

子供の言うやさしさが薄っぺらいものに聞こえるだろう。

いつの日かお金を得る快感がフラッシュバックしてしまうだろう。

 

だから、本当に純粋な意味で子供の気持ちを理解できる人というのは、最初からお金に不自由せずに、大人になっていった人間である。

 

つまりは自分では全くお金を稼がずに、お金に対して自由である人間である。

 

 

現段階ではそんなことは一部の超お金持ちや、どこかの王族でしか実現しないだろう。

 

そして、そんな人間を一般の大人達は大人と認めるのだろうか?

 

きっと認めない。

 

そこにこそ、どうしようもない子供と大人の隔たりがあるのだろう。