いつまでも同じ結果、同じ自分に焦ってしまう事について

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いつまでも同じ道が続くと不安になる 

 

平行線。

 

いつまでも同じ。

 

ずっと変わらない。

 

そんな物に人は安心感を得る。

 

人間というのは危険に飛び込む時もあるが、その動機は最終的には安心感を得るためだったりする。

 

安心したいがために絶対に、明らかに嘘だとわかるような何かを妄信してしまうケースだってある。

 

それくらいに、安心、日常、同じということは人々から愛されているのである。

 

「じゃあ、その安心が一生続くよ」と言われたのならば、真に不思議ではあるが、人はそれを嫌がる。

 

人生に退屈してしまうのだ。

 

そういう時、人は「死んだように生きるなんて嫌だ!」とか、「挑戦してこその人生だ!」なんていう台詞を吐いてしまいがちである。

 

だからといって、毎日が危険が常に付いて回り、死が隣で待ち伏せているような状況が継続されれば、人は精神的に参ってしまう。

 

本当の所は人は安心を愛している訳でもないし、スリルを愛している訳でもない。

変化を求めているのだろうと思う。

 

変化の波の動きは予測がつかない

 

どんな人間であろうと変わっていく。

 

環境の変化によって、人間は変わっていくことが多いが、実際は環境の変化などなくとも人間というのは常に変化し続けているのだと思う。

 

10年前と全く何にも変わっていない人間なんていないと思う。

 

だから、「変わらなきゃいけない」なんていう焦燥感や不安は無用である。

人は否応なく変化する生き物なのだから。

 

ただ、人間の面白い所は波打つように変化するということなのである。

 

進んでは戻って、また進んでは戻る。

 

その繰り返しての中で少しずつ変化していくという性質を人間は持っている。

 

これは、人間の中に変化という性質が備わっているだけでなく、元のままであろうとする性質も備わっているからである。

 

だから、いつもと違うことをやろうとすると人は急に不安になったりすることがある。

これはいつもの自分に戻ろうとする性質が影響している。

 

人間の本能に組み込まれたシステムの一部なのである。

 

いつか必ず変わる、同じ波は二度とこない

 

だから、簡単に変われない自分を悔やむ必要は全くない。

 

どうせ、いずれ現状に慣れきってしまい変化したくて仕方がない、新しいことに挑戦したいという欲望がどんどん高まっていって、変化せざるを得ない時が来る。

 

溜まった欲望はいつか発散されるように出来ているのである。

 

何回も同じ結果を得た事によって焦る気持ちは重々理解できるが、一回目にとった80点と二回目にとった80点は全く意味の異なるものである。

 

それは、記憶の定着だとか、理解の深さだとか、確信をもった解答だとかである。

 

結果が同じだからと言って、過程が同じであるということにはならない。

 

何度も通った道であるからこそ、人間はその分野に対して強靭でいられる。