幸福は結果論なのだろうか?

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成功が、幸せなのは当たり前

 

結局、人生というのは何が正解なのだろうか?

 

人生というのは、自分がやりたいと思ったことをひたすらにやることが素晴らしいんだ!

と主張する人はたくさんいる。

そう主張する人の多くは成功者か、あんまり現実を知らないが自分だけは絶対に上手くいくと固く盲信している若者に多い。

その中でどれだけの人が成功するかは知らないが、それも人生のカタチの一つだろう。

 

人生というのは、堅実な仕事と確かな貯金を積み重ねていくことが大切なんだよ!

明日の飯も食えないような人生なんて辛いに決まっているだろう!

 

と主張する人もたくさんいる。

こういう主張は特に若者には不人気極まりないが、年齢層が高くなるにつれてそういう考えを好む人が着実に増えていく。

自分の人生経験と重ねて賛同するところもあるのだろう。

挑戦する人は数限りなく存在するけれど、成功する人はわずかばかりなので、やはり保守的な思考の人間というのは一般大多数を占めるのは至極当然である。

 

両極端な意見を上に述べたが、一体どちらが正しいのだろうか?

 

どっちが良かったかなんて、結局は結果次第なんじゃないの?

 

死んだように生きるのはまっぴらごめんだし、だからといって飯を食う金がなくて、その上生活保護なんかにも手厚く断られたりなんかしちゃって餓死してしまうのもイヤである。

 

そこの狭間で人間は揺れるだろうし、飯を食えなかった経験が多い人ほど、お金というものに固執するだろう。

 

夢を見るのにも飯を食べる必要があるのだ。

 

そこがあるから、思い切って挑戦できないという事は多々ある。

 

挑戦して成功する、もしくは失敗する。

 

保守的に生きて、堅実に生きる。

 

どちらが良いかということは一概には言い切れない。

 

そして、どちらの人生にも幸せはあるだろう。

 

ただ、どっちが良かったかなんていう判断は人には下せないだろう。

 

だって、それって結局、結果次第なんじゃないの?

と思うのだ。

 

自己の成功体験からしか、人は良し悪しを判断できない 

 

挑戦して成功した人生ならば、「挑戦こそが人生においての最大の幸福だ!」なんて大言壮語が吐けるだろうし、

挑戦して失敗したならば、「あの時ああやってしまったから、こんなになってしまったんだ、あぁ昔の自分を殴ってやりたい」なんて恨み言をつぶやきながら生活するだろう。

 

普通に生きて普通に暮らす人だって、普通に暮らすことに成功する人もいるし、失敗する人もいる。

 

そうしたら、いくら普通に暮らそうと決心したとしても、上記のような事を発言してしまうのだろう。

 

要は成功した人は喜び、失敗した人は悲しむということが現実として存在しているのではないだろうか?

 

そりゃあ、成功する人というもの、その影には尋常ではない量の失敗を秘めていることは確かだ。

 

でも、結局の所その人が幸福なのは最終的に成功したからではないのだろうか?

 

という所が現在の考えである。

 

夢に向かって努力する過程が楽しいという意見はあるだろう。

 

それは認める。

 

でも今日はそういうことを言いたいのではない。

だから、今回はそれは考えないとして、何が言いたいのか?

 

まずはとにかく「成功」しよう!

小さな成功でもいいから積み重ねよう!

それはその人の幸福に繋がる確かな道だと思うのである。

 

ということが結論である。

 

簡単に幸福に至る道があるならば、きっと成功がそれに該当する。

 

今できる成功を存分に楽しんだらいいのだ。