時間は有限だからこそ、時の流れと格闘するのである。

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この世の全てはみな有限 

 

人間は有限である。

そして時間も有限である。

 

この世にある無限というのは全て幻想である。

 

なぜなら、それを観測する側が有限であるのだから、無限であることを証明する事が不可能だからである。

 

一日は24時間であるし、人は動けば疲れるし、寿命が来れば期限切れである。

 

いくらでも時間はあるという感覚はとっても素敵なことであるが、いつまでも幻想に捕らわれて生きることはできないだろう。

 

 

成し遂げたいことがあるとしよう。

生まれたからには何かでっかい事をやってやろう、と思う人はきっと膨大な数になることだろう。

 

生まれてこの方、望みなんか一つも抱いたことはない、なんて言う人の方がおそらくレアである。

 

唯一無二の存在になりたいと、ほとんどの人間が望んでいるのだ。

 

人生は時間との戦い

 

人間はあるがままが素晴らしいのだ!

何者にもなる必要はないんだ!

だって人間は生まれ持って特別な存在なんだ!

と考える人もあるかもしれないが、

99%は周囲の目を引くための虚飾であるし、残りの1%の人の精神は達観し過ぎているので参考にならない。

 

だから、この世の圧倒的多数の人間は何かを達成するために時間と戦わなければいけなくなる。

 

なぜなら、人が持っている野望とか夢とかの類は多大な時間と努力を持って達成されるものだからだ。

 

短時間かつ少量の努力かつ何のドラマもない野望に夢を抱く人はいないだろう。

そもそも、そういった行動を野望と称して良いものだろうか?

 

野望を叶えるためには、とどのつまり時間と格闘しなくてはならない。

 

野望のために時間を割り当てることが、野望を達成するための何よりの糧となる。

 

時間は有限であるから、野望のために他の何かを犠牲にしなくてはならないことは、きっと誰でも考えればわかるはずのことなのだ。

 

でも、時間という資産は驚くほどに貴重なものであり、それも皆理解しているが故に時短テクニックだとか、時間節約だとか、無駄を減らすとか、そういう小手先のことばかりに専念してしまう。

 

勿論、効率化は大切である。それは確かに言うまでもないことだ。

 

しかし、それに以上に言うまでもなく大切なことは、野望に向かってひたすらに努力に励むことである。

 

いつか終わるから大切にできる

 

いつまでも小手先の効率化ばかりをやっている時間はないのだ。

 

時間は有限である。

故に人はいずれ死ぬ。

 

その厳しい現実に目を反らしてしまう事を私は咎めることはできないが、やはり限りのあるものだからこそ、大切にするのはやはり当然のことである。

 

そこを恐れずに見つめ続けて生きることができると、人生にも多少の緊張感と爽快感が生まれてくるのではないだろうか。