肉体と精神ってさ、いつも一緒にいるけど仲良いの?

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心と体の不思議な関係性

 

極度に疲労していると、心まで疲れてくる。

 

体は満身創痍だけど、心は超元気!

 

そんな人はまずいない。

精神面を良くしたいのならば、やはり体質改善から手を付けるのが妥当な線なのだろう。

 

人の脳みそというのは他の動物と比べると極度に発達しているけれど、そのせいで逆に辛い思いをしている面もあるんだろうか。

 

完全に精神と肉体が疲弊しているのに、義務と焦燥にかられて無理に体にムチを打ってしまうなんてことは、人間だからこそ多い行動なのではないだろうか?

 

誰かのため死ねる!

こんな言葉を口にする人間は少なからず存在する。

ほとんどは嘘だが、その中で極稀に有言実行を果たしてしまう人間がいる。

 

本当に立派な事だと思う裏腹、動物的な観点からするととんでもない行動だな、と感心してしまう。

 

誰かのために死ねるって不思議

 

自分の命より大切な命はないだろう?

と下賤な私は思考してしまう。

 

遺伝子を継承するという観点からしても、それは「自分の遺伝子を」継承するということが前提として当然含まれているので、どんな物事よりも自分の生命を第一に考えることは何らおかしいことではない。

 

ならば、そういった他人のために命を賭ける人間というのは、どんな精神と肉体を保有しているのだろうか?

 

非常に気になる所である。

 

基本的に精神というのは、肉体に影響されるものだと思う。

 

精神が肉体に影響することも多々あるが、どちらが主でどちらが従であるか、それを考えるのなら、それは肉体が主だろうと思う。

 

肉体が不健康なのに、精神的に元気でいられる人など見たことがないからである。

まぁ肉体が元気だからといっても必ずしも精神が元気とは限らないのだが。

 

だが、誰かのために命を捨てる人間というのは精神が肉体を引きずっているとして考えられない。

 

肉体的な最上の状態というのは、少なくとも自分の肉体が死に向かうことではない。

しかし精神的な最上の状態というのに、自分の肉体が消滅するケースは存在するだろう。

 

よって、滅私して他に奉公する、なんて概念を脳の中に有している人は精神が肉体に優っているのかもしれない。

 

精神が肉体を凌駕する事こそが美しいのだろうか

 

そして、その行為こそを周囲の人間は「立派な行為」だと認め崇める。

 

人間というのは無意識の内で精神が肉体を凌駕することに憧れているのだろうか?

そうでなければ、他人のために死ぬ人間は賞賛されることもなく、単純にバカにされるだけだろう。

 

無論、誰かのために何かをするという行為が賞賛されるべきものだが、誰かのために自分の命を捨てる、という行為に至るとまた一線を超えた評価がされていると思うのだ。

 

私は誰かのために命を捨てたいとは思わない。

しかし誰かのために命を捨てることができる人間は尊敬できる。

 

そこにまた自己矛盾がある。

肉体と精神が相反している訳ではなく、今度は精神と精神が矛盾している。

実に不思議である。

 

精神が肉体を凌駕する。

その行為に人は憧れ賞賛するけれども、だいたいにおいて精神が肉体に逆らい行動を行うとその結末は自分の肉体の死に繋がる。

 

だが、肉体の言うことばかりを聞いて、肉体に優しくしていたのならば、死力を尽くす、全力を尽くす、限界までやる、そんな精神的充足が得られる行為から遠く離れてしまう。

 

肉体と精神は一つの器に収まり共存している訳だが、どうにもこの二人の仲が良いようには思えない。

人間は本当に不思議な生き物だと思う。