人はどこに向かって歩き続けているのか。正しい方向や目的地ってあるのか。

 

前を向く、ヨソから見れば後ろ向き。

 

 ビタミン剤を取るように人は情報商材に手を伸ばす。

実際に効果が出ているかどうかは非常に不明瞭ではあるけれど、人間は前に進んでいる感じが大好きなので、やっぱりそういう商品はいつも盛況である。

 

人間はどこかに行きたがっている。

それも今よりも前に行きたがっている。

 

前というのは、個人によって様々であり、全世界的に共通する前は存在しない。

だから、あの人は馬鹿だとか、あの人はスゴイだとか、そんな評価が成されるのである。

 

今、進んでいる方向が正しいのかどうか

 

その評価基準は自分が進みたいと思っている方向、もしくは現状進んでいる方向を基準とした評価である。

 

その方向に進むことが良いことかはわからない。

本当にその方向に進んでいるかどうかもわからない。

 

方向や目的地というのは、見えにくいものがほとんどであり、全く見えない物も多々存在する。

 

健康や成功なんてものはその一例である。

 

だからその手の商品は非常によく売れる。

その商品がよく売れたからといって、実際にその方向に進めているか、と問われるならば実際にそう動けている人は非常に少ない。

 

だから、その非常に少ない目的完遂者というのは、その情報を販売してさらに富を集中させることができる。

富が二極化するという現象はとてもシンプルである。

 

「常にどこかへ向かわなければいけない」という強迫観念

 

人間が立ち止まる、という行動を一般大多数の人間は非難する。

どこかに行きたい人からすれば、目障りだし、国から見ても全くの利益にならないような人間は不要だからである。

 

ほとんどの人間は特に根拠がなくとも、どこかに向かうことは素晴らしいことだと考えるし、国はお金が欲しいから常に行動することを要求する。

 

よって、人は絶えずどこかに向かって歩き続ける。

 

最終的に行き着く先が最初に目指した場所と真逆の場所であっても問題はない。

よっぽどひどいケースを除けば、最終的に辿り着いた場所こそが自分が本当に目指していた場所なんだ、と思うように人間はできているからだ。

 

そんな展開になるのならば、「最初から何もしてなくても同じじゃない?」と思われるかもしれない。

 

そう、同じなのである。

 

でも人間には焦燥感と世間からの圧迫があるから、どうにも常にどこかに向かって歩いていなくてはならないような気分になってしまうのである。

 

どこに行くのかは適当でもいいから、道のりを楽しむ

 

そしてそんなことを続けていく内に、自分が心からやりたかったことを忘却させてしまう人も結構いる。

 

「アレ?なんで私はこんなことをしているのだろう?」

そんなことを思考する人は非常に多いのである。

 

だが、それも決して悪いことではないのかもしれない。

 

大体のケースにおいて、最終的にはこれで良かったと思うように人間の脳は機能するからである。

途中のどうでもいいような失敗など、知らない内に忘れ去られる。

 

適当に道に任せて歩いていくのも、また楽しいのだろう。

 

別にどこに向かってどう歩こうが、そんなのは自分の勝手である。

他人に文句を言われる筋合いではない。

 

だから別に今いる場所で終わりを迎えても何も問題はないのだ。

自分の人生を好きに使っても良いに決まっている。

 

今いる場所、目指している場所、終わりを迎える場所。

色々と要素はあるけど、別にそんなに深く考える物事ではない。