仕事や休日が暇っていうのは、自尊心や肯定感や人生の意味なんかを激しく削るよね。

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暇ならば、家に帰って遊びたい

 

やってらんないぜ!

退屈である。

非常に何もウルトラやることがないのである。

 

こんなこと書いていると自分がダメ人間っぽいけど、あぁなんか自分ってダメ人間なんじゃないか?と思ってしまう事が増えた。

 

理由はいくつかある。

具体的に言うならば2つある。

そしてこれは現状は私や、どこかの窓際族やニートにのみ発生している現象なのだろうが、今後はマシーンの発達が人間の仕事を代替していくことにより似たような境遇の人間が増加することであろう。

 

私は仕事をしている。

だが、それでもこんな現象は発生してしまうのだ!

仕事の目的はお金を貰うことなのだが、だからといって本当にそれ以外の要素を切り取られて仕事をするというのは中々精神的に辛いものなのだ。

 

で、自分がダメ人間なんじゃないか?

と思ってしまう理由が2つである。

 

ダメだと思う理由:ひとつめ 

「暇な時間を有効に使用することができていない」

 

うん、これはダメ人間かもしれない、ではなくて本当にダメな部分なので、強く反省せねばならない。

与えられた仕事をただ淡々とこなすだけの人間が重宝される未来なんてない。

私も業務範囲外のことでも将来役に立つであろうことは率先して、こっそり仕事中に勉強せねばならん、と反省する。

でも、仕事してる時に仕事以外の事をする罪悪感はハンパないのである。

でも、暇である。勉強したい。

心の葛藤が余計なストレスになるのである。

 

ダメだと思う理由:ふたつめ 

 

「自分が必要とされていない、と感じる人は自身を喪失する」

繰り返すが、仕事というのはお金を貰うためにあるが、ただそれだけではままならない事が結構あるのである。

単純に言うならば「生きがい」が欲しいのである。

自分だからこそできる何かが欲しいのである。

できるならば周囲の人間から頼りにされて仕事をしたいのである。

 

そのためならば、人間というのは長時間労働も、ノルマのきつい業務も、技術的な困難な仕事でもやってのけたりするのである。

 

周囲からの視線が重圧になって潰れてしまう人もいるが、それは適度であれば人間を生き生きとさせる秘訣でもあるのだ。

 

なのに、暇。

故に自分という存在に必要性がなくなる。

つまりは、生きがいが消失する。

 

自分に自信がなくなり、ダメ人間だと感じる。

 

定年退職した人が、やることがなくて生きがいを失って鬱になってしまうのと同様の現象が私の中に起こっているのである。

 

「自分は誰かにとって必要なんだ」って感じられると生きてて楽しくなる

 

「誰かを助けるということは同時に自分が助けられるということなのである。」

 

昔はそんなことを聞いてもさっぱり意味がわからなかった。

「助けてもらっておいて、ふざけた事言ってやがる。」

なんて思っていた。

 

あぁ、でもなんか最近になってその意味が理解できたような気がする。

 

自分本位な考え方だが、自分に自信がなくなった時はボランティアでもすればいいのである。

無料で労働力の提供を求める団体はどこにだってあるのだから。

それで誰かを助けて、ついでに自分も救われたらいいのである。

 

さて、ボランティアなんて生涯やるつもりのない私は、これから先この自分の否定感をどうやって改善させていくのか、思案のしどころである。

 

やっぱり、他人と関わるところから始めるのが良いのだろうなぁ。

他人と懸命にコミュニケーションを取っている時は、自分を否定している余裕なんかないし、関われば助けたり助けられたりというのは日常茶飯事である。

 

水は留まれば腐るというし、流れていると新鮮であるらしい。

流れは大事だし、交流も大事だ。

抽象的だが、流れを作り出すことが大切なのかもしれない。