普段の脳内妄想がブログを書く寸前になると急にストップする現象は何?

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脳内妄想をパソコンに打ち込めば雑記ブログなんて一瞬で完成する

 

実際問題、雑記なんてものはいくらでも書けるものなのだろう。

だって、雑記なのだから。

 

自分がふと感じたこと、思ったことをキーボードに打ち込めば完成である。

 

だから、きっといくらでも書ける。

日常の私の頭の中はいつもお喋りが止まらない。

どうでもいいようなことを何回もいつまでも話し続けている。

 

どうにもその思考を停止させようとしても、動くよりも止まることの方が難しいようで、思考が止まっている間はごくわずかである。

 

そんなくだらないお喋りを文字に起こせばそれで完了のはずである。

 

しかし、不思議である。

いざこうやって記事を書こうとすると、いつも頭の中でお喋りしていたような内容というのは雲散霧消してしまうのである。

全く無かったことになっているのである。

 

今までの私のお喋りは何の役にも立たない。

だからせめてブログを書く時くらいは役に立って欲しいと思っていた。

しかしながらその願いは届かないまま、日常の脳内会話はどこかへ行ってしまう。

 

何のために存在していたのだろう。本当に。

だったら、無駄な事を考えずに自分の脳みそを休憩させてやれば良かったのにと思う。

 

ふとした瞬間の思考内容ってふとした瞬間に忘れてる

 

こういうことは他の人達はどうやって管理しているのだろうか?

逐一その会話内容を覚えている人もいるのだろうか?

その無駄な会話内容を新鮮で意味のあるものに変換できる人もいるのだろう?

その無駄なお喋りを常に停止させる事ができる人もいるのだろうか?

 

そう考えると、その人達はとっても得をしている人なのだろうと思う。

実際問題、他人とたくさんお喋りする人であっても、自分自身の脳内と会話する時間は大きな割合を占めることだと思う。

 

だからその内容を心地良いもの、自分を改善させてくれる物であるのなら、それは素晴らしいことに違いない。

 

でもそれでも、仏教の修行とかで自分の無駄な思考を打ち払う修行とかをやるくらいなのだから、それはとっても難しいことに違いない。

 

出家するようなマトモな人間が苦労していることなのだ。

それを簡単にクリアできる程甘くはないだろう。

 

ならせめて覚えておきたい。

どんなにゲスでくだらない内容だとしても、今後は書き留めておくべきなのだろう。

 

それこそが自分を知る大きなキッカケになるだろうし、同時に変化させるための材料になるに違いない。

 

いつもの私の思考を逐一書き留めれば私は無意識の私を知ることができる

 

自分は本当に自分のことを知らない。

自分の事を直接観察することなんて不可能なのだから当たり前である。

 

自分の姿だって難しいのに、自分の性格ともなれば尚更である。

であれば、そんな自分の性格の一端を知ることのできる要素があるのだから、自分の日常の会話は是非ともメモしておくべきなのだろう。

 

いや、でもそんなゲスでくだらない内容を常に書き留めていたら、自分の人格の酷さに呆れ果ててやっていられなくなるかもしれない。