ネタになりやすい嘘の秘密は大量生産して秘かに流通させるべきである。だが本当の秘密は決して公開してはならない。

 

本当に秘密な事は片鱗すら見せない

 

他の誰にも知られたくない秘密を私は持っている。

実際、他の誰かも他の誰にも知られたくない秘密を持っているのだろう。

 

きっと秘密があること自体は秘密でもなんでもないのだろう。

ただ、その事実そのものは誰も口にしたいものではないのだ。

 

本当に言いたくないことは、尻尾ですら一切出さない。

逆、自分がどうしても言いたいことは相手が気になるように尻尾を見せつける。

 

その差は歴然としているだろう。

というよりかは、本当の秘密を見せないためにも、偽の秘密で周囲を満足させようと考える人間もいる。

 

人は自分の秘密は絶対に漏らすまいと尽力する癖に、他人の秘密に関しては何の許可もなく閲覧しても良いと心の底では考えているし、チャンスがあれば無遠慮にその秘密を暴こうとしてくる。

 

自分がやられてみないとわからないのだろう。

いや、自分がやられた時の痛みに想像がつくからこそ、他人の秘密を奪う快楽に目覚めているのかもしれない。

 

他人の秘密は蜜の味

 

男女問わずに人間には、他人をのぞき見する趣味がある。

多かれ少なかれ、誰にでもある。

だから、大きな実利も生まない芸能界があれだけの盛り上がりをみせているのであるし、芸能人が不倫したとか、結婚した、そんな一般人でも平気でやっているようなことに夢中になって飛びつくのである。

 

芸能人とは秘密を公開することで金銭を得る、という部分が存在するのだろう。

 

他人の秘密を安全に購入する手段の一つが芸能人なのだろう。

公共の物であり、共有のものである。

だから皆の話題の種になり、誰も傷つくことなく、皆が秘密にありつくことができるのだろう。

 

しかし、秘密の価値にも高低がある。

その観点からすると、芸能人の秘密は大勢の人間に知り渡り、尚且つ安全に共有できるものではあるが、その反面秘密としての味は薄い。

 

その薄さこそが皆で楽しめることの秘訣でもあるのだが、そんな秘密ばかりでは人の舌は次第に満足できなくなる。

 

つまりはもっと濃い味の秘密を味わいたくなる。

その秘密こそが近しい誰かの、公開したくない本当の秘密である。

 

これほど、濃度の濃いものは中々存在しないだろう。

だからこそ、誰もが自分自身は標的になりたくないと望むし、チャンスさえあれば誰かの秘密を暴きたいと考える。

 

誰かの核心に迫る秘密というのは、情報的価値であるが、事実上はその人の心臓を握っているのと同様の効能が得られる場合が多々ある。

 

遥か昔から人間の世間ってのは秘密を守って奪う情報社会だったんだよ

 

この情報化社会であるから、なおのこと効果は絶大だ。

故に何が起こるのか?

秘密の奪い合いである。

この奪い合いがあるからこそ、周囲の人間関係に緊張が発生するのであり、人と人が打ち解け合えない原因の一つである。

 

誰もが皆、自分が被害者になるまい、誰かの秘密を奪い取ろうと考えるから平穏は訪れない。

 

ならば、皆が皆、秘密なんてものはこの世に存在しないと決めつけてしまって各々の秘密を解放するようになったらどうなることか?

 

誰もが安心して心から繋がり合える世の中が構成されるのだろうか?

いや、違い。そうはならない。

結局の所、秘密を全て解放してしまえば、本質的に自分と理解し合うことのできる人間というのは一切存在しないことが明らかに判明してしまうため、より一層の人間同士の緊張が発生する。

 

つまりは、それぞれが秘密を持ち全てを見せない。

そして、時の偶然によりその秘密の一部が漏洩してしまう。

だからこそ、その人の秘密の一部に自分との共通点や安心感が得られる。

それにより、全てでなくても自分と他人にも同じ部分はあるのだという漠然とした安心感を得られるのである。

結果として人間関係は円滑化する。

 

人間は部分的に知ることができるから上手く行っているのである。

だから秘密は人間関係の構築には不可欠であるに違いない。