世間が強要する夢や目標より、自分が心から感じる幸福の方が価値が高い!

スポンサーリンク

 

夢や信念がなくて「なんてとなく」やっている行動でも全然OK!

 

人生においてやりたいことがない。

そういう人は多い。

私は色々とやりたいことがあるのだが、じゃあどうしてそれをやりたいのか?

という根本的な理由を問われるのならば、

「退屈から逃れたいから」

ということが答えになるのではないかと結論を出すようになった。

 

そしてその考えベースで何かをしてみる事でもそれは十分素晴らしいものなのではないかと思うのだ。

 

周囲と比較しなくても、期待に満ち溢れているなら良い!

 

どうしてもこれがしたい!

絶対にこれじゃなきゃダメなんだ!

そういう信念は素晴らしいと思う。

 

しかし私にはその類の思考、目標は持っていなかった。

ただ、退屈である。

ただ、人生なんかつまらないなぁ。

 

そんな思いが脳内だけでなく、全身に駆け巡りどうしようもなく自分自身を責めていた事をよく記憶している。

 

だから、そんな気分が嫌でとりあえず何かを始めた。

最初に何を始めたかは不明である。

おぼろげに覚えている事はそれがロクでもないことだった、ということである。

 

でもそれでいいのではないかと思っている。

人生において、何かの分野でトップに立ちたいと思わなくてはいけない訳ではない。

そう私は主張したい。

 

人生において退屈な事が一切なく、自分期待させてくれるような事に満ちあふれて毎日を楽しく生きられるのならば、それで十分に素晴らしい人生なのだ。

 

いや、十分ではない、十分過ぎるのだろう。

 

だから、自分には夢とか目標がない。

それでいいのではないだろうか?

 

ただ目の前に何か楽しそうな事がある。

だからやってみよう。

 

ただ今の人生が退屈過ぎて嫌気がさす。

だから少しでも退屈でない方向の何かをやってみよう。

 

そういう思考でも良いのだと思う。

マイナスからの脱却を目標に生きてみてもいいのだ。

 

マイナスでなければプラスである。

理論としてはそうである。

だからきっとそれは真実なのだろう。

 

好き勝手に生きるのって楽しい

 

「一日中漫画を読んでいるのが楽しい!でも何か世間ではプロ野球選手を目指すとか、一流アーティストを目指すとか、そういう目標を持っていないと悪いような気がする」

そんな思考は不要である、という話だ。

 

別にそんな目標は持たなくても良い。

一日中漫画を読んで幸せで居られたら、それは絶対に素晴らしい。

 

世間から求められた見栄えの良い偽物の夢や目標に向かって無気力に走り続けるよりかは絶対に上等である。

 

というか、夢や目標は持たされるものでもないし、持っているからと言って特段立派ということもない。

その人が好きで勝手にやっていることに立派も何も無いのは当然である。

 

だから、夢を追っている人は素晴らしくても、それをチヤホヤして「夢を追う行為こそが人間として素晴らしい」と言う世間の言うことは無視すれば良い。

 

自分の人生が昨日より少しでも楽しくなれば上出来なのである。

自分が素晴らしいと思うことが何よりも素晴らしいのである。