イロトカタ

純然たるイロトカタです


どちらか一つを選ぶ時に、迷って立ち止まって考える時間ってのは無駄じゃない。大切。

 

取捨選択 

 

どちらか一つだけを選ばなくてはならない時、そんな時には私はどうしたら良いのだろう。

「両方取っちゃえばいいじゃん!」

とかいう回答はいらない。

 

両方取れるのならば、取っている。

 

片方を取得すると、もう片方は取得できなくなってしまう、そういう性質のものだ。

 

ポケモンの赤バージョンと緑バージョンみたいに、お金さえあれば友達がいなくても図鑑をコンプリートできるような仕様ではないのだ。

 

だから私は選ばなくてはならない。

その選択によって私の未来が大きく変わることは明らかである。

だから考えなくてはならない。

 

それぞれがどのような性質を持っていて、どのような方向性へと導くのか?

「迷った時はコインで決めちゃえばいいじゃん!」

「迷っている時間がこそが人生においての損失だよ!」

そんなことを私は昔の記事で書いたことを記憶している。

 

気軽に言いやがって、という気分である。

そんな簡単に選択できたら苦労はねーよ。

なんて思ってしまう。

 

でもその反面、やはり昔の私の回答は真実であると思う。

その通りなのだ。

 

理屈として何一つ間違っていないのならば、私はそう行動するべきなのだ。

なのに私を引き止めるものは何なのだろう?

 

と考えると、どちらかを捨てなくてはいけないのではあるが、その両方が私にとっては物凄く大切だと感じている、ということだ。

 

そして、その物凄く大切だと感じている事に対して、私の軽い判断ですぐさま切り捨ててしまう事は理屈としては最善なのだろうが、精神的な決別という観点で考えるならば何か間違っているのではないだろうか?

 

何か失礼な印象がある。

 

物や事で考えるから良くないのかもしれない。

人で例えるならそれは理解されやすいかもしれない。

 

要するに今、私が感じていることは、

「葬式って時間の無駄だから、やらなくて良くない?だってもう死んでるんだし。」

という意見は確かに時間的なコストの観点では正論なのかもしれない。

 

しかし間違っている。

私はそう言い切ることができる。

 

どこがどう間違っているか?

それを明確に言い表すことは難しいが、自分が長年大切に思ってきた何かをあっさりと切り捨てることが出来るほど、人間は簡単にはできていないのだと思う。

 

人に対する葬式は無駄ではない。

そう自分の中で言い切れるのならば、自分の中で大切にしている何かを切り捨てるために、しばらく立ち止まってしまう時間というのは無駄ではないのだろう。

 

だから私は昔の意見に対して反対することになる、

大切な何かを切り捨てるための精神的な決別を行うための時間は大切だ。

そのために立ち止まる時間があっても、それは良いのだ。