善人は生来的な悪人の存在を認めないし、騙すという概念が脳内に存在しないから騙される。

 

善人は、おとぎ話ならば成功者になれる

 

良い人とはなんだろうか?

 

毎日朝早くに起きる人だろうか。

他人が嫌がることを率先してやる人だろうか。

自分にとって都合の良い存在だろうか。

 

良い人の定義は人それぞれなのだが、自分自身が良い人であろうとする、もしくは自分自身を良い人だと思いこんでいる。

 

そんな人は騙されやすい。

 

なぜだろうか?

理由のひとつとしては、ただ単純に詐欺師からの人気が高いからである。

良い人は何でも信用してくれそうだから、簡単に騙せるだろうな。

もしも失敗しても説教くらいで許してもらえそうだし。

 

そんな理由で良い人は騙されやすい。

(ちなみに第二位は夢がある人、強い欲望がある人である。)

 

これは受動的な観点から見た善人の騙されやすさであり、本来ならばこの要素だけで良い人が騙される訳ではない。

 

善人が悪い話に引っ掛かりやすい事の確かな原因はもっと別の所にある。

 

騙さない人は、脳に騙す回路が存在しないから、騙されている事を認識できない

 

それは、善人が他人を騙そうとしないからである。

 

他人を騙そうとしない、だからこそ、その人は善人なのである。

他人を必死で騙そうとする人間は悪人である。

 

そして、人間は知らないことは知らない。

知らない事は自分の思考のフレームに当てはめて考える。

つまりは自分の都合の良い方向に考える。

 

善人にとっての都合の良さ、というは当然「相手に善意がある」ということなので、他人がどんなに怪しい話を持ちかけても、その中にある砂粒程度の善意を無理矢理に見つけ出して、その話全体が善意で構成されているかのように思考するのである。

 

どんな人でも良い人に見える。

どんな話でも良い話に聞こえる。

 

これが善人の特性であり、きっと童話的なお話ならばそういう人間が絶対に幸せになるだろう。

だが現実は童話ではないので、そうはならない。

 

悪を無理やり善だと解釈を捻じ曲げる事は悪い事だと思うし損するよ

 

善人の裏の特性としては、何でもかんでも「善である」という方向に捻じ曲げてしまう事なので、明らかに悪い話も善い話として認識してしまう。

 

だから当然のごとく騙される。

最後まで信じる。

だから思いっ切り損をする。

 

悪に対抗するためには悪を知らなくてはならないのは当然の話である。

それをしないということは、善人は世の中をありのまま姿で見ようとしない、現実逃避の怠け者なのかもしれない。

 

確かに、世の中にいる人間というのは全てが善人であると考えれば精神は平和である。

 

仮に悪い事をする人がいたとしても、それは仕方なくやっていることであり、どんな人間にも生来的に善の心は宿っているのだ、と信じていれば気楽である。

 

しかしそんな人間は周囲から見ればただの間抜けで使い勝手の良い人間である。

 

だから善人が本当に善人であるためにも、悪を勉強しなくてはならないのではないだろうか。

善という事柄をもっと突き詰めて考える必要があるのではないか。

その中で見えてくる善があるのではないだろうか。