慣れる事は退屈であるから、ちょうどいい所で見切りを付けてさっさと次に進んだ方がよい。

 

繰り返せば能力技術は向上する

 

二周目。

 

強くてニューゲームなんて現実には存在しないけれど、それでも同じことを繰り返すことによってそれに近いことを我々は行うことができる。

 

誰だって一回目よりかは二回目の方が上手くいくだろう。

 

才能があんまりない人でも、その法則を有効活用することにより、つまりは努力の名の下に今よりはちょっぴり幸せになれるかもしれない。

 

さて、そんな時に考えたいこと。

それなんだろうか?

 

ただ、淡々とひたすらに同じことを繰り返す。

確かにそれでも人間の脳みそはよくできているものだから、それなりの効能を発揮するかもしれない。

 

まぁ、つまりはそれなりの発見や閃きや能力の発達が見込めるかもしれない。

 

でもだ。

でも人間の良い所の一つに、「意識した方向に進むことができる」なんていう性質がある。

 

つまりは我々が同じことを繰り返すことによって、何を獲得したいのかを予め明確に示しておくことで、余計に幸福になれる可能性があるということだ。

 

同じことを繰り返す。

その時に私達は何を求めるのだろうか?

その時に何に気をつけたらより効率的なのだろうか?

 

そんな事を考えてながら最近作業をすることが多い。

 

結局の所、ある一定回数を超えてくると繰り返しというのはつまらなくなるからだ。

いわゆる「マンネリ」である。

 

退屈は人を殺す

 

それが人生をつまらなくてしているのは誰だって知っていることだろう。

そんな状況に甘んじて一生を過ごさないためにも、やはり繰り返しにおいて何に気をつけるかについて気をつけることによって、退屈から即刻抜けださなくてはならない。

もしくは美味しい部分だけを抽出しなくてはならない。

 

勿論、漫然と何回も何千回も繰り返すことにより。

目的を定めないことにより得られる何かもあるのだろう。

 

きっと達人とかの努力量というのは常人の比ではない。

 

しかし今回のテーマはやはりそんなことではないのだ。

何回も繰り返される退屈な繰り返しから脱却するためにはどうするのか?

それを考える事によって、世の中楽しく過ごしてしまうという話なんだ。

 

同じ動作から違う所を探す

 

ならば、何に注目すれば良いのか?

確実に繰り返しの意味を形成する行動は、

「前回では気にしなかった箇所、見なかった箇所に注目する」

ということだ。

 

言ってみれば至極単純な原理である。

しかし、それを実践できている人はあまりにも少ない。

退屈な事をする時。

嫌な事をする時。

物でなくてもいい、人間同士の関わりあいに関してもそうである。

 

あなたが不快、もしくは退屈だと思う時。観察注目している箇所はいつも同じではないだろうか?

 

そうだろう。きっとそうである。

 

骨の髄まで全てしゃぶり尽くしている何てことはそうそうないのではなだろうか。

という人間は見えない事に関しては見ることができないので、全てを味わい尽くしたと思っていても、全然そんなことなかった、なんてケースは非常に多い。

 

退屈ならば開拓せよ!

 

開拓されている分野ならどんな学問の分野であろうと、理論書や専門書を紐解けば新しい発見があるものである。

 

今までどんな本や人に巡りあっても、そんな新鮮な発見がないという人ならば、さっさとその分野から離れるか、自分がその分野の最先端に立つべきである。

 

ただ、現実問題そんな人間はいない。

つまりは全然しゃぶり尽くしていない癖に、もう食べる所がないと愚痴を言っている人間が大半なのである。

 

昨日やらなかった事を今日やれば絶対にそれは新しい。

新しい何かでも退屈である可能性は確かに否めない。

 

だが、やはり最終的には人間は総当り的な体当たり勝負で物事を開拓していくしかない場面もあるのではないだろうか?

 

少なくても、「あぁ、また今日もいつもと同じかぁ」なんて愚痴を言っているよりかは楽しいだろう。