天才と凡人の違いは「なんで?どうして?」を自己に継続的に連続して問い続けるかどうかである。

 

天才の知能ってどんな感じ?

 

知能がどのように構成されるのか?

 

人間という現在においては最高の知能を所有している我々でもその全貌を精密に理解している訳ではない。

 

できる事であっても、それがどのような仕組みであるのかを我々は知らない。

しかし知らなくても人間は使えるし、そんなに不便な事態にもならない。

 

機械のボタンを押すように人は人の体を柔軟に使いこなす。

最低限の機能であるならば、機械の細部にまで目を向ける必要は皆無である。

 

そんなことは商品の販売者が勝手にやってくれるのである。

 

きっとそんな考えにおいて皆幸せに暮らしていくのである。

 

凡人はそれで終わりにする、天才は追求を始める。

 

しかしどうだろうか?

 

それで話が終わるのは素人の話である。

そしてそれで話が終わるか始まるかが、素人とプロとの境界線なのである。

 

即座に思考停止をして知識人の言うことだけを聞いているのが素人である。

精密に深く思考し、自分を中心として物事を進めていく人がプロである。

 

だから、あなたが何かの分野のプロになりたいと思うのならば、「なんで、どうして」を突き詰めていくのが良いだろう。

 

そんな事を思って思い出すことがある。

 

子供の頃、どんなに返答しようとも「なんで~なの?」という台詞をそれこそコンピュータみたいに繰り返す人がいなかっただろうか?

 

私にはいた、そんな彼を私は心底面倒くさいと感じていたし、友達になりたくもなかった。

他の人もそう思っていたらしく、自然と彼からは人が少なくなっていった。

 

社会的なコミュニケーションにおいては、「なんで」を連続して使用する人間は避けられる。

 

しかしである。

 

しかし、これを自分の技術向上のために常に自問自答する癖を付けることはきっと有益なのではないかと思うのだ。

 

そういう意味でやはり子供は天才なのである。

 

最終的には、試合本番には深く集中しないでプレイにのめり込むことも重要だろうが、自分の能力を磨き高めるためには、そういった自分の精神にひどくストレスがかかるような行動を自ら取っていかなくてはならないのではないだろうか?

 

天才は挑戦と探求の連続で構成される

 

プロという存在はどんな分野であれ、孤独であり、オリジナリティに溢れる存在である。

だから本当に重要な解答については誰かに教わるものではなく、自分自身で導き出す必要がある。

 

誰かの偽物であるならば、きっとその人は頂点には立てないし、プロとして認められることも少ないだろう。

 

だからどうだろうか?

 

プロになりたい、自分の能力を高めたい。

物事を深く理解したい。

 

そんな風に考える人がもしいるのならば、自分一人で部屋にこもって、自分が突き詰めたいテーマを出し、それに「なんで」という問いで何度も打ち付けて、自分なりの解答を練磨させていくというのも良いのかもしれない。