イロトカタ

純然たるイロトカタです


「文句があるなら辞めれば?」っていう奴はおかしいと思う。意味が全くわからない。

 

聞こえの良い言葉に騙されるな!

 

言い争いになるとよく出てくる発言がこれである。

 

学生の頃は自分自身もよく使ったものだし、周囲の人達も頻繁に活用していた。

この言葉を使用すると、相手が駄々をこねてるような印象を付けることができるし、自分は組織のために尽力する忠実で優秀な人間、という印象を与えることができる、その時の私はそう感じていた。

 

まぁ、確かにこの発言によって、事が簡単に収集する場合もある。

 

特に自分の住む世界が、金の重要度が低く、綺麗事をいかに並べ立てるかが人気の高さに影響するという世界であると、この言葉の効力はさらに勢いを増すのだろう。

 

実際、社会生活において文句があるなら辞める、なんて行為を常習化していたら、その人は最終的には職にありつくことができなくなるだろう。

 

一切の文句もなしに、快適に過ごすことのできる労働なんてものはないのではないだろうか。

仮にあるのだとしたら、それは環境の良し悪しではなく、その人の人格によるものだろう。

 

「文句があるなら辞めて欲しい」と思う人は、文句がある人に文句があるって事なんだから、まず自分が辞めたらいいんじゃない?

文句の一つもなしに過ごせる社会が存在しないのなら、やはり「文句があるなら辞めれば」の理屈は通用しないと思われる。

 

というか、こんな発言をする人間はその組織に対して一切の文句がないというのだろうか?

「文句があるなら辞めれば」という発言は組織の人間に対する文句には該当しないのだろうか?

 

私には文句がある人に文句を言っているようにしか思えない。

だったら、まず手始めに「文句があるなら辞めれば」と発言する人が辞めればいいのではないだろうか?

 

 文句や不満があったら解消改善するように務めるべきでは?

 

まぁ、何はともあれ文句の出ない組織なんて考えられないし、文句なしに組織は成長しないのではないのか?とも思う。

 

文句ってのは、良い言い方をするならば改善案じゃないの?

もしも組織がこんな風だったら良いのになぁ、という気持ちの強さがマイナス方向に表れたのが文句なのではないだろうか?

 

そりゃあ勿論、自分勝手で組織のことなんて一切考えない「ただの横暴なわがまま」な場合もある。

 

そういったレベルの文句にまで耳を傾ける必要はないだろう。

(とはいえその線引こそが非常に重要で困難なのだが)

 

しかし、文句の中には、表現の仕方さえ変えれば組織を劇的に良い方向に変化させる画期的なアイデアも存在する。

 

なんであれ、文句を人の心の中にはその組織に対して何らかの希望を持っていることは確かである。

 

本当に心の底から組織に対して何の希望もないのならば、「文句を言うまでもなく辞めていく」のである。

 

だから文句といえども、ないがしろにしてはいけないのではないだろうか?

確かに聞こえの悪い表現ばかりが並ぶだろうから、延々と聞いている訳にもいかない。

 

しかし、少しでも気が向いた時に、少しでも体力が残っている時に、文句に誠実に耳を傾けるのもいいのかもしれない。

 

他人の不満に耳を傾け誠実にその解決に当たろうとする人間は評価されるだろうし、隠されたヒントがそこに眠っているかもしれない。

 

ゴミをゴミだと思っている人は、ゴミを金には変えられない。

ゴミの中にも宝が埋もれていると期待する人がゴミを金に変えるのだろう。