愛のムチは暴力なんだから、綺麗事で残酷な真実を覆い隠すのはやめよう!

 

ムチは暴力なり

 

先頭に「愛」という文字が入っているから勘違いする方もいるかもしれないが、これは紛れも無く暴力の仲間である。

 

というか暴力そのものである。
だって、ムチだもん。

 

ムチで殴ったら痛いに決まっているし、痛いものは暴力だろう。

 

さて、そんな暴力「愛のムチ」である。

 

その実態は単なる暴力であり、暴言なのであるが、枕に愛を付与することによって、なぜか不思議と良い言葉のように感じてしまう。

 

似た例として、語尾に「勇気」と付けるとポジティブな印象を付けることができる。

 

明らかに悪いことでも大義名分があれば、それがあたかも善行を積んでいるかのように見せる悪いテクニックである。

 

確かに誰かを成長させたい、叱りたい

 

そんな事を思う時、人は心を鬼にして大切な誰かに対して牙をむく。
そして、その結果として大切な人が大きく成長することだってあるだろう。

 

だからこの「愛のムチ」を全面的に否定するつもりはない。

 

だがやはり文句は言いたい。

 

愛のムチを利用して、自分のストレス発散や遊び半分の暴力は辞めよう!

 

愛のムチを利用するのはいいけど、ムチを振るった相手に恨まれたくないからと言って、「これはお前のためを思ってやっているんだからな!」みたいな台詞を吐くな!

 

ということである。

 

一点目は悪用であるし、二点目は誤用である。

 

一点目に関しては言うまでもない。

外面だけを綺麗に磨いてはいるが、その内面は全くの悪である。

 

こんなことに騙されてはいけないし、こんなことは絶対にするべきではない。
見かけの良い言葉こそ疑ってかかるべきである。

 

人間はそこまで馬鹿ではないので、嘘の愛をばらまく行為は結局自分の首を締めることになる。

 

二点目に関してはきっと多くの人がやっている行為だと思う。

 

俺はお前を嫌っている訳ではないんだ!
お前のためを思っているのは本当だ!
だから成長してくれ、でも俺のことを嫌わないでくれ!

 

「これは愛のムチなんだからな!」


こんな台詞を吐かれると、その人の内面はそんな風に言っているように聞こえる。

 

気持ちはわかる。
十分によくわかる。

でも本来の行為について考えてみよう。

 

やっぱり「愛のムチ」は暴力なのだと。
紛れもない暴力なのである。

気持ちはなんであれ、行動はそうなのである。

 

だからその人のために愛のムチを振るうなとは言わないけれど、その人から恨まれる覚悟がないというのは如何なものだろうか。

 

暴力を振るった相手に嫌われる、もしくは恨まれる。

そんなことって当然のことではないだろうか?

 

なのに、その人の事を大切に思っているとかいないとか、そんな事は全く関係のない話ではないだろうか。

 

だから、大切な人がいてその人に成長して欲しい。
そのための手段として暴力が必要だ。

 

そう思ったのならば、愛のムチを振るう前にしっかりと相手から恨まれる覚悟するべきではないのだろうか。

そして、下手な言い訳をするべきではないと思う。

 

だってやっていることは暴力なのだ、中途半端な気持ちで行っていいものではない。

 

それができないのならば、暴力なんてやらない方がいい。