無駄が人間の寿命を延ばす!過程を愛して生きる人間は無駄さえも愛することができる。

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点の欲望は達成したら一瞬で喪失する


夢とか希望とかってあるけれど、あれって大概は線じゃなくて点なんだよな。


だから、達成した瞬間に幸福感はどんどん減衰していく。


そうなると、今の自分の人生に意義を見いだせなくなるから、また次の夢を探し始める。


また、一瞬の幸福のために、長い努力を強いられる訳である。


だからこそ人間は長く生きるのだと思っているし、その長い努力の末に自分のなりの人生観や幸福を見つけていくのだと思う。


夢を願った瞬間に夢が成就してしまったのならば、きっと人間の寿命は短い。

やりたい事が即座に消え失せてしまうのだから、きっとそうなる。


我々人間は夢を叶えた瞬間だけでなく、夢を叶えている途中の過程に幸福を見出さなければ、長い幸福感を得ることはできないし、人生に意義を見出すことも困難なのではないだろうか。

逆説的な話になってしまうが、そのために無駄が必要なのであると思う。


というよりかは今までの無駄だと思っていた事が本当は無駄ではなかったんだ、と思うことが大切なのだ思うのである。


この無駄は人類共通の何かである必要はない。


自分が無駄だと感じた全ての事に意義を見出すことによって自分の人生観が生まれてくるのだと思う。


まぁ、人間は一瞬で夢を叶えることのできる生き物ではないのだから、結局の所、無駄を重んずる考えになる事は一種の逃げなのかもしれない。


もしくは、環境適応である。


別に無駄に価値を見出す事こそが全ての生命にとっての究極の答えなんて言うつもりでもない。


だが、人間のとっての幸福の求め方の中の一つの答えに「無駄を楽しむ」ということがあるだろう。


何が言いたいのか。


毎日を怠惰に緩慢に成果を出せずに悶々として生きている人はたくさんいるだろうけれど、そんな事で落ち込んでいても人生楽しくならないよ、ということである。

大半の人間は実際、大した役割を持っていないし、貢献もしていない。


稀に出てくる天才が、奇跡的な発明を行い、一瞬で世の中を変化させるのである。


だから私達の人生は全く意味のないんだ。

と思ってしまっては生きる喜びが発生する道理はない。


この世を変える天才だけが、生きている価値があるとは思わない。


その思考は無駄を肯定することによって、実現するのである。

だって、大概の人間の人生なんて無駄なんだから。


だから自分の無駄を自ら肯定しなくてはならない。

そしてそれは何ら悪いことではない。


別に人類に貢献しなくては生きている意味がない、なんて事は絶対にないのだから。


自分の肯定しよう。

無駄を楽しもう。