「自分の痛み苦しみ」を他人がまるで理解してくれない事だってあるけれど

喉元過ぎれば以前私が感じた不幸を他人が味わっていてもどうでもいい

絶対にそうである。
自分の苦しみは自分しか知らない。

どんなに親しい人間だとしても、どんなに似たような境遇に立たされている人でも、自分の苦しみを理解できる人は自分だけだ。


そんな自分だって、喉元過ぎれば熱さを忘れるのである。


自分が苦しんでいたような状況に他の誰かが陥って苦しんでいたとしても、指を指して笑う事ができるのが人間だ。


だから、自分の痛みを誰かにわかってもらおうとしてはいけない。


というか無理であるからだ。


ただ、わかってもらえなくても受け入れてくれる人はいる、理解しようと努力してくれる人はいる。


そういう人は大切にしておくとたぶん幸せになれる。


その辺の線引が人間関係には大切なのではないだろうか。


きっとその辺の理解がないから、「アイツは私の事を何にもわかってくれない、冷たい奴だ」とか思ってしまって、人間関係がこじれるのである。

自分を愛してもらうには、他人を愛する必要がある

自分の気持ちを理解してもらおうと奮闘する人間は、大体の場合嫌われる。
自分大好き人間は嫌われるのである。


その逆に、自分の気持ちを理解しようと日々努力する人はやはり好かれる。
他人が好きな人は好かれるのである。


まぁ、どんなことでもそうだが、自分の利益になる人間を、自分に好意を持ってくれる人間を無下にできる人間など、そうはいないという事だ。

全てを理解してもらうのは不可能。でも部分的に受け入れてくれようとするってだけでも十分幸福

自分の痛みは自分にしかわからない、ということはわかった。


ならば、自分の痛みは全て自分で抱えなくてはならないのだろうか。
誰にも頼ってはいけないのだろうか。


そういう訳ではない。
どんなに素晴らしい人格者であろうとも、辛い時には仲間に頼っても問題ないのである。


だが、先に述べたように、自分の痛みは自分にしか理解できない。



ならば、どうすればいいのか?


単純に「自分が辛くて苦しんでいる」。
その事実のみを伝えて理解してもらい、受け入れてもらえばいいのではないだろうか。



別に細部まで理解してもらう必要はないと思う。

そんな抽象的な情報でもしっかりと聞いてくれて受け入れてくれる仲間を見つける事が大切ではないだろうか。


結局、辛く苦しい自分の話を細部まで思い返すように話して、尚且つ聞き手にとって論理的に理解ができて、さらに聞き手も共感納得できるような話でなくては、受け入れられない。



そんな人に苦しみを打ち明けても余計に辛くなるだけである。


そこまで無駄なプロセスを踏まなくては受け入れてくれない人間と仲良くする必要はない。


「辛い事があった」
その事実を話した時には、そっと優しくしてくれる。


そんな人間にこそ、救える何かはあるのではないだろうか。