イロトカタ

純然たるイロトカタです


「積み重ね」という努力そのものを愛せる人間はいつだって希望に満ち溢れる。

「何をどう積み重ねていくのか?」という人生設計


人生を長く生きる上での目標。

それは人の数だけ存在するはずであるが、その目標に共通する事は何かを積み重ねていった上での達成ではないだろうか。

  • お金を貯めて家を買う。
  • 子供を二十歳まで育てて一緒に酒を飲む。
  • 実績を積み上げて社会的意義の大きい仕事をする。
  • 人気を集めて大きいホールでコンサートをする。
  • 沢山の本を読み、知見を深めて科学的進歩のある発明をする。


まぁ、なんでもいいのだけれど、大概は上記のような積み重ねの上での達成である。

まさか、人生至上の目標が「宝くじで3億円当てる事」であると心から願っている人はそんなに多くはいないだろう。
というか一人でも存在するのだろうか。

高く積み上げるほどに、

何かを高く積み上げるという事は、繰り返しと構造が大切であり、神経と信念と計画が必要である。

高くなればなるほど周囲からの注目度も向上するから、そちらに気を配ってしまい高く積み上げる事に気をとられる。

高くなっていくと、高いというだけの理由で、もしくは妬みで積み上げた物を崩そうと仕掛けて来る人間もいるから、そちらにエネルギーを割かれる。

そんな困難を乗り越えたとして、目標を達成したとする。


それでも、積み上がった物はいつか崩れるのである。


どんなに長く続こうが崩れるのである。



終わりの無い現象は存在しないのである。

死なない人間はいないし、崩れない物はないのである。


何かを一生懸命積み上げている時はそんな事、どうだっていいし、眼中にもない事なのだが、いざ崩れた時、もしくは積み上げ完成させた時、やっとそれを知るのである。


そんな時に人生の儚さを知るのである。

長い時間を掛けて作成した物が一瞬で消え去る。


創造は複雑で破壊は単純である。

リスクを受け入れて、それでも希望を胸に抱き前に進む

そんな時、人は何を考えるのだろうか。

私は未だ大きな何かを積み上げられてはいないし、同時に大きな何かが崩れた事もない。

だから、その時の心情を正確に知る事はできないけれど、だからこそその対策は考えておく必要があるのだろう。


こんな時、「積み重ねるという行為そのものが大切なんだ!」といって結果を無視し、過程を重んずる思考によって、苦痛から逃げられた気分になるかもしれない。


でも、やっぱり過程が楽しいのは結果が見えてきているからなのだ。

完成イメージのないプロジェクトは上手くはいかないし、楽しくもないだろう。


しかし、完成という理想を思い浮かべる時、同時に「挫折」や「達成後の儚さ」というリスクを背負う事になる。

やはりそこは腹をくくって受け入れるしかないのだろう。

そして、一度や二度の失敗などは軽く受け流すくらいの器量が必要なのだろう。


いつだって完成イメージにワクワクしていられる心こそが人生に幸福をもたらすのは間違いない。

だから良い意味で失敗慣れをする必要があるし、いつまでも少年のような心で目標に向かうべきなのだろう。


「積み重ねる」という行為を「積み重ねる」事によって、積み重ね自体を上手に楽しむ事ができるようになるのではないのか?

なんて事を思う。