良い事をして貧しい暮らしをするのなら、炎上して豊かになりたいと思う人は、きっとたくさんいる。

金が善行か?

善い事をして貧しい思いをする。

悪い事をして豊かな暮らしをする。






皆はどちらを選ぶのだろうか?

最近のブログについての話題は「炎上」である。


どんな話題でもいいから、周囲から注目されて承認欲求と金銭欲を満たそうとする。

炎上する内容というのは、ほとんどの場合「悪い事」や「反社会的」、もしくは「大半の意見とは相違する」といった要素を持ち合わせている。


「大衆が勘違いして、悪い方向に進んでいた事を、是正する旨の発言をすることによって、炎上が発生した」みたいな場合ならば、それは万々歳なのだが、そんな鋭い指摘ができる人はそうはいない。


というか、そんな事ができる人間は炎上なんか起こさなくても承認欲求と金銭欲を容易に満たす事ができるのである。


だから、その2つの欲求を満たしたい人が炎上を起こそう!となった時には、悪い事をするか、反社会的な事をするかしかない。


「自分の欲求を満たす事」と「他人に迷惑を掛ける事」の感情のシーソーゲームをした上で、大半の人間は「周囲に迷惑を掛けてまで自分の欲求を満たしてはいけない」と考えるが故に炎上を起こしたりはしない。

欲に目がくらんで炎上を発生させる人

しかし、そんな中にも少ない数ではあるが、「他人の迷惑なんてどうでもいいから、自分の欲求を満たしたい!」と考える人間がいる。


そんな人間が悪い意味での炎上を起こすのである、


そしてその結果として、「善意ある人間」がその「悪意を持って炎上を行った人間」に注目することによって、炎上を起こした人は目的通り、名誉とお金を手に入れる事ができる。



別に多くの人間から批難を受けようが、1000人からの厚い支持があるならばそれは名誉である。



どっちが良いのだろうか?


勿論、善い行動は炎上を起こさない事なのだろう。


しかし、そんな善い行動をしていても良い結果に結びつかないと感じて考えている人はたくさんいる。

そして、そんな事を考えている間にも、悪い行動をして炎上する事によって良い結果を手にしている人間がいる。

きっとそんな世の中を見て馬鹿馬鹿しいと思う人間もいることだろう。



非情に難しい問題である。

清貧を愛せる人なんて全然いないから、私達は悪意が損になる社会システムを作らねばならない

「善意が心に宿れば、明日のメシが食えなくてもいい」と心に誓う事のできる人間なんて、そうそういない。

厳しい修行をしてとしても、心の底からそう思い込む事は困難だろう。



ならば、そんな固い決意ができない大衆はどうしたら良いのだろうか?


答えは単純である。


炎上を起こす人間が良い結果を得られない社会を創りあげればいいのである。


善い行動をする人間が良い結果を得られる社会にすればいいのである。


答えはいつだって単純で難しいものである。


しかし、

善い行動をした人間の名をネット上で広める行動はできるだろう。

炎上を起こそうとしている人間を無視する事くらいならできるだろう。



それだけでも多少は「良い」社会になっていくのではないだろうか。