イロトカタ

純然たるイロトカタです


同じ本を繰り返し読むからこそ読書に深みが出て来る。一回読んで終わりはもったいない。

「速読」や「読んだ本の数の多さ」に惑わされるな!


頭の良さを自慢する時に、「たくさん本を読む事」や「高速で本を読む事」を自慢する人が周囲にはいないだろうか。


その人達は必ずしも頭が良いとは言えない、と私は思う。


当然ながら、頭の良さに本を高く積み上げる事と本を速くめくる事は全く関係がない。

しかし、他人の脳みそは分解して調べる事が非情に困難であるから、こういった外面の特徴で物事を判断しなくてはならないのである。



そんな外面の観察を続ける内に、そんな特徴が浮かび上がっただけである。

だからと言って、その特徴をそのまま真似れば頭が良くなるとは言い難い。


それは頭の良い人の過程の積み重ねでしかない。


本を読むことによって何を得ようとしているのか。

それを深く考える事ができれば、自ずとやるべき事も見えてくるだろう。


別に気分転換のために自己啓発書を読んで終わり。

みたいな感じならば一回限りでも問題ないと思う。

だが、その本の思考法を自分に定着させたいとか、知識を習得したい、と考えて本を読んだのに、それが一回限りで終わって次の本に行くとはどういう事だろうか。

別にあなたが超人的な天才であるならいいのだけど


別に一回見たものは完全に記憶できる、という人ならばいいのだろう。

しかし、世の中そんなにハイスペックな人間ばかりでは無いことを重々知っている。

だからあんなにも記憶術関連の書籍が売れるのである。


学校の勉強の時、記憶したい単語を何度も頭の中で繰り返したりはしなかっただろうか?

何度も同じ問題を解いてパターンを体に覚え込ませたりはしなかっただろうか?


それと同じ事をどうして本ではやらないのだろうか?


非情に疑問でならない。
というか今私思い付いて、なんで自分はこんな事をしているのだろうと後悔するばかりである。


分野が変わっても根っこの所は似通っていたりするものである。

何のための読書か


本を読む速さが重要なのではない。

本を読んだ冊数が需要なのではない。


読んだ本の知識と知恵が頭の中に叩き込まれていて、現実にて活用する事ができるかどうか。

そこが重要なのは言うまでもない事である。


一冊の本を完了させるポイントはそこにあるのではないだろうか。

最後のページに辿り着いたから終了ではないのである。


寿命まで、ただただ無意味に生きた人生が価値あるものではないのと同様である。



だから今の世の中が、いくらでも本を読める世の中であったとしても、その量に惑わされてはいけない。


何のために本を読むのか。

その目標を見定めて実行するから価値が出る。