友達の数と幸福は比例しない【幸福のものさし】

「友達が多いと幸せ!」なんて嘘だから。

友達がいなくて良かった!


そう心から思えるような人生を歩みたい。


別に友達がいるのが良い、いない方が良いなんて話をしたい訳ではない。



成功する人は友達が少ない!なんて主張する人間もいる。

人脈こそが金脈なんて公言する人間もいる、



結局の所、友達の数がどう人生に影響してくるかどうかなんて、全くの謎である。

成功者の言ったもの勝ちである。


しかし世間一般的な認識としては、友達の数が多い方が優れた人間として認知されやすいし、好感が持てるのも確かだろう。


「確かに友達が一人もいません!」なんていう人と率先して友達になりたい人はいないだろう。


金が金を呼ぶように、友達が友達を呼ぶのである。


だから、友達がいない人というのは世間の一般常識からすると、不遇な人扱いされる事も多い。


友達が少ない事に同情して、友達になってあげようとする人まで出現するくらい、不遇だと認識されている事は確かだ。

この状況がどれだけの事か。

自分の気持ちを偽って、笑顔で優しく、不遇の人に好意を向ける。

こんな心境になる時は、物乞いにお金を恵む時や、離婚した人などの「現状物凄く辛い思いをしている人」に対して接する時である。

世間の価値観に合わせて生きると友達ができるけど、、、


要は「友達がいない」という事は世間から見ればそれくらい不幸な事であるということだ。


だが、そんな自分を「友達がいなくてよかった!」と心から満足する人がいるならば、それは確実に幸福である。


その人は幸福を世間に求めない事に成功した人なのだから。


自分のものさしで幸福とは何かを追求できる人なのだから。




さて、友達の多い少ないによって、成功するかどうか、という話に関しては全くの謎という話をしたが、逆に成功しない確立が高くなる場合には定石がある。


成功しない人間は「世間一般に自分の幸福を委ねる」人である。


これはまず間違いがない。


なぜなら、世間一般の感覚というものがそもそも、庶民であるための共通認識、搾取されるための思考だからである。


世間一般と同じで嬉しいという感覚を持つ事は、

「庶民で良かった」

「ピラミッドの最底辺になれて嬉しい」

と言っているようなものである。


何から何まで、世間一般に染め上げられる程にその傾向は強まる。



友達がいなくてよかった!
と豪語できるまでに無理に変化する必要はないと思うけれど、世間から外れた人間でもいいのだ!と少しでも自分に優しくしてやる必要はあるのではないだろうか。



世間のものさしは自分を幸福にはしてくれない。

自分で作ったものさしが自分を幸福にするのである。