相互依存は悪い事なのか~結婚って依存関係だよね?~

汚い言葉は、綺麗な言葉で誤魔化されるもの

大体において、他人に依存することは甘えた事、自立していない、なんて言われて悪だと見なされる。


もっと大人になれ、自立しろ、自分の頭を使え。

そんな事を言われて人は皆大人になっていく。


何度も同じ事を教師から、先輩から、親から言われ続けてきたので、多くの人間は自立する。

自立し、社会で上手に立ち回れるようになった矢先、親から言われる「結婚しなさい」。



この要求に首をかしげないで言われるがままに行動する人達に対して私は首をかしげる。


いやいや、だって結婚でお互いに依存し合う事ではないのか?


依存という言い方が好まれないのならば、お互いの足りない所を支えあい協力して生きていく事ではないのか?


今までは自分一人で生きる事を要求してきた癖には、時期が来たら依存しろと平気で要求する。


そんな人間は結構な数で存在するのだ。


そんな人の話を聞いて私は思う。


「結局、その親が子供に都合良く依存しているだけなのだな」と思う。


「お前のためを思っているからだ」は疑え


人は自分の勝手な要求を相手に飲ませるために、自分の欲望を隠し、誤魔化し、装飾して、小分けにして「マナー」とか「恩」とか「今までの自分の経験」とか「人生とは何か」とか、そういった拘束具を相手に着用させる。


お前のためを想ってやっているんだぞ!

そんな台詞を言われたのならば、心の底から警戒するべきだ。

一つ一つ根拠と論理性を事細かに聞き出して、その真偽を確かめる必要がある。


その調査を拒否するようは相手ならば、一切信じる必要はない。


そんな重要なプロセスを無視するような人間に「お前のためを想う能力」なんてない。



それは要求する人間が相手に依存しようと考えている結果である。

人は依存するという事実を認めて受け入れよう

人という字は「人と人が依存し合っている様子を示している」という話もあるのだ。

結局、人間は誰かに、もしくは何かに依存しなくては生きられない生き物なのだろう。


その事実を認識する事が大切なのだと想う。

また、その事実自体が悪だとは私は思わない。

それを認識しているからこそ、依存を上手に使いこなす事ができるし、バランス良く生活をしていく事ができる。

では、依存を認識した上でどうすればいいのか


依存とは相手に求める事だ。

そして自立とは相手に求めない事だ。



この二つの要素しか知らない人間は大体幸せにはなれない。


当然である。

相手に「依存する事と依存しない事」だけしかできない人間が、周囲の人間から求められるだろうか。

差し出す物がない人間を、誰が求めるだろうか。


足りない物が二つある。


与える事と与えない事である。


この二つに適切な語彙が浮かばない事を自分自身非情に情けなく思う。


マイナス要素の名前はすぐに出てくるのに。


しかし、多くの人間はそうではないのだろうか。

だから結婚しても幸せになれなかったりするのではないだろうか。


結果からすると、相互依存だけでは足りない。よって良い結果は生まない。

簡単な話、4つの要素がバランス良く働けば、幸福になれる


想った以上に単純な話になってしまった。


最初の命題である、「相互依存は悪い事なのか」については、「それ単体だけでは、十分悪になり得る」という回答である。


そして、その改善策としては、

  • 相手に求める(依存)
  • 相手に求めない(自立)
  • 相手に与える(なんと言うのだろうか、提供?)
  • 相手に与えない(これも不明、不干渉とで言ったらいいのだろうか)


上記の4つをバランス良く使用することで、他社のとのコミュニケーションは円滑になりますよ、という話だ。



やはり、常日頃から自分が提供できるものは思考して研鑽しておく必要があるのだろう。