イロトカタ

純然たるイロトカタです


「ここは俺のおごりだから!」という台詞に「うざい」または「傲慢だ」と感じた時に

歴史は繰り返す


先輩後輩、上司部下。


社会、組織には身分関係が存在する。

熟練者がいて、新参者がいる。

できる人間がいて、そうでない人間がいる。

だから、その構成が何一つ問題のない事である。

上司が部下に何かを教え、部下は懸命に上司の言うことを聞く。

そうやって部下はいずれ上司に成長する。


上司になった人間は部下に何をするか。

これはどんな組織、先輩後輩でも同じ話だが、「今まで上司にされた事を部下にする」のである。

ほとんどの上司はその行為についての理由を深く考えてはいないだろう。

ただ単純に昔上司にやってもらったから、そうすることが正しいのだと考えている。


まぁ、なんかその時点でちょっとダメなのだけれど、その中でも一番ダメな行為が「奢るという行為、もしくは表現」である。

その行為、上から目線で

上司が部下に食事をご馳走する行為自体が悪い訳ではない。

だが、その行為を奢ると表現することが悪いのであって、そういう上から目線が悪いのである、という話だ。



まぁ、勝手な推測だが、奢るという表現には、どうにも「私はお前より絶対的に上」、「私のおかげでお前は生きていけるんだぞ」みたいな意図を感じてしまう。


本当に自分勝手な考えなのだが、感じるのである。



上司が部下に何かを教えるのは、将来部下に役に立ってもらうためであるし、
上司が部下を叱るのは、部下の悪い箇所を正すためであるし、
上司が部下に食事をご馳走するのは、給与の少ない部下の生活を一時的に助けるためである。
(もしくは親睦を深めるための口実だろうか)



少なくても私はそう思っている。


しかし、下記のように考えてしまっている人がいるのではないだろうか。


上司は部下に何かを教えるのは、上司が偉いからであり、
上司が部下を叱るのは、上司の思い通りにならないから、または八つ当たりをしたいからであり、
上司が部下に食事を奢るのは、上司が部下より格上の人間だと認識させたいためである。


と、こんな風に考えて実践してしまっている人もいるのではないだろうか。



たまにそんな事を考える。

習慣を疑おう!

だから私は率先して他人に食事をご馳走してもらう事には遠慮しがちだし、自分からもご飯をご馳走しようとは思わない。


別に食事代くらい自分で出せるくらいの給料は貰っているはずである。



奢るという行為が慣習化しているだけに、その行為の起源、本質がわかりにくくなっている気がする。


どうにも時代が変わっているのに、時代遅れな慣習というのは日本にはたくさんあるように感じるのだ。


そんな慣習を1つずつ紐解いていくと、無駄なストレスや、他人の隠れた思惑や、効率的な社会のあり方などが見えてくるのではないだろうか。