挨拶ってどうしてあるの?必要ないよね?意味ないよね?

私はどうして挨拶をするのか


イロトカタです、こんちにわ。




挨拶ってどうしてするのでしょうね?

挨拶ができない人はマナーがなっていない!
当たり前のように聞かされてきたし、そのおかげで理由もなく挨拶ができない人に不愉快さを感じています。


確かに、挨拶ができない人イコール良くない人という認識はあって、その理由もぼんやりとはわかっていて、それを正しいと信じているのも確かです。


だがしかし、挨拶ができない事が悪い理由を明確に言葉に落とし込む事が私にはどうにもできていないようなのです。


「そんな事わざわざ言わなくてもわかるだろう?」
という意見もあります。


確かにその通りなのですが、時代の変化に応じて行動や生活スタイルを変えていく事ができない所謂「時代遅れの人間」というのは、当たり前の事に対して深く理由を考えません。


正しい事は正しい事なのだから、正しいのだ。

そんな回路が頭の中では出来上がってしまっているのです。


ただ、それでは世間に対して格好が付かないので、「人間として当たり前の事」とかよくわからない感じの台詞を吐くのです。


「なぜ人間として当たり前の事なの?」と質問するならば、「揚げ足を取るな!」とか、「お前には人として当然の教養もないのか」とか、「最近の若者はなっていない」とか言って煙に巻きます。


とはいっても、どうやら本人も誤魔化そうとしている訳ではないようです。


当たり前の事に対して深く考えないように、脳みそが固定されてしまったのです。



アレをする必要があって、そのためにコレがあった。
コレを維持するためにソレが始まった。

こんな風に物事を理屈にして考える事ができない人は時代に取り残されていきます。


こういった人は頭の固い人とよく呼ばれますよね。

まぁ平たく言えば論理的に物事を深く考える能力のない人なのですが。

当たり前はどうして当たり前なのか


と、頭の固い人をバカにしてはいますが、どんな世代のどんな人間にだって、当たり前の行動、慣習は存在します。


そして、大概の人はその行動、慣習はなぜ存在するのかを深く追求しません。

だから、当たり前の少しでも疑う事ができる内に、考えておくべきなのです。


その一例として挨拶なんかがある訳です。


挨拶について本気出して考えてみた


という訳で挨拶がなぜ大切なのか?
なんて当たり前の事を考えてみましょう。


挨拶は何のために生まれたのか?

  • 人間同士が打ち解けあうため。
  • 自分の存在を知らせるため。
  • 自分がいなくなる事を知らせるため。


こんな事が挙げられる。

これらの要素は、人間が徒党を組んで行動する際に、効率的に作業を行うために必要な行動だと言える。


集団で一つの物を作り上げようとする際に、お互いが警戒し合っていては、情報連携が上手にできずに想定していた成果が出ない。(能率の低下)


自分がいる事(もしくはいない事)を知らせなければ、作業の分担に支障が出るので、完成までの時間が長くなってしまう。(機会損失、人員不足)


挨拶がないとこんな問題は発生してしまうから、挨拶が生まれたのだと思う。


今の時代においても、会社に勤めるような人は情報連携は重要であると思うし、大事な場面でその人がいない事に気が付いても遅い。


そう考えると今の時代でも、集団で作業を行っている人にとっては大切なのではないだろうか.


逆に、協力関係でもなんでもなく、一切の関係を持っていない、もしくは持つつもりがない人間に対しては挨拶の必要性はないのだろう。

むしろ、重要な情報が漏洩してしまう可能性もあるのだから、自分の仕事と関係ない人に対しては、むしろ挨拶をするべきではないかもしれない。



こんな風に考えれば、挨拶の使い分け方も理解できるだろうし、時代の変化にも対応できるでしょう。

今回の結論


挨拶をしたくなければ、自分一人で仕事を完結させられるようになれ。

社会で生きるならば、挨拶はできた方が何かと得である。