「効率的」という言葉を乱用悪用して挑戦、行動する事から逃げるようにはなっていませんか?

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楽をする=効率的

「効率的」


非常に良い言葉だと思う。


如何に楽をするかが、能力の良し悪しを決めると言っても過言ではないと思っている。


10の成果を1の努力で得られる人と、

10の成果を10の努力で得られる人は十倍の能力の違いがある。



ということは努力の量を減らす、つまりは楽をするという事が能力に関わってくるという事は言うまでもない。



これは私自身、事実であると考えている。



だから今までそういう風に生きてきた。


できる限り効率的に生きるように心掛けてきた。


無論今だってその考えは変わってはいない。


しかしだ、その考えだけでは不十分な気が、最近している。


効率化する事で楽になることはあるが、楽をする事が効率化であるとは限らない。

そう、私はとにかく楽をしようと考えていた。


それこそが必ずや効率化に繋がると信じていたからだ。



だが、それは少しだけ間違っているのではないかと考え始めている。


最終的には、「楽が追求された」結果となっているべきだとは思うが、その「過程」において楽を追求する事が自分の成長に繋がるとは限らない、という事だ。



つまりは、楽な道を探すためには、苦労することも必要かもしれない、と思っている。


そうでないと、行動への反射速度が急激に低下してしまうのだ。




この作業はあの日のあの作業と一緒にやった方が、移動の手間も動作の手間も少なくて済むよね!

という考えは理解できる。


しかし、新しい作業、急にひらめいた作業についても、この考えを使用して「実行開始までの時間が遅くなってしまう」事は良くない事である。


人生は短いし、儲け話は全速力で走り去ってしまう。


何かを始めるならば、今すぐが一番なのである。


なのに、「効率化」という考えを適用してしまうと、「無駄なエネルギーの排除」という観点によって「行動スピード」が著しく減少してしまう。



これは由々しき事態である


とりあえずは行動する事を重視した方が良い!

効率化は大切だが、それ以上に行動スピードは大切である。


効率化は作業がある程度ルーチン化してからでも良いのではないだろうか?


それまでは、とにかく即行動の方が経験値も溜まるのではないだろうか。



何より、

  • これと一緒にやったほうが効率的
  • このスキルが身についてから実行した方がコストが安くなるから効率的
  • 大してリターンが大きくなさそうだから、やらない方が効率的


なんていうように効率化という言葉が、「自分が何もやらないための逃げ口上」になってしまう事が、何よりも危険である。


どんな素晴らしい道具も使い所が大事である。