友達って、どこから始まるのだろうか?【友達の定義を共有しよう】

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友達が少ない私が考えてみた。


少ないというかほぼゼロに近い。

しかし、そんな私でも昔は友達がいた。少なくても私は友達がいたと考えていた。


学校なんかで生活をしていれば、自然とそういう環境になるのだから友達がいることは不自然な事ではないのだが、当たり前に友達がいる環境にいると「友達の境界線」が見えなくなってくる。

どこから友達なの?


自己紹介したら?

毎日挨拶したら?

一緒に遊ぶようになったら?

本音を語り合えるようになったら?

というかそもそも友達って何?


何を目的とした関係性なの?

という所からして、我々はきっとはっきりとした定義を共有してはいない。


昔に見た漫画やドラマの漠然としたイメージを大きくなっても引きずっているのが大体の人間の現状だろう。


「仲間なんだから自分の命を投げ打ってでも助けるのは当然だろ!」

とかいうイメージの人もいれば、


何か目的の元に集結したビジネスパートナーに近いイメージの人もいるだろう。


それによって、友達関係を構築していた人達も簡単な事でその関係が崩壊してしまう事は多々ある。


「友達なのにどうして、助けてくれないの?」

「お前の事がそんな奴だとは思ってもいなかったよ」

とかいう台詞は、「友達」の定義の共有がしっかりできていなかったために生じる現象である。


だから、「どこから友達なの?」という事に回答があるのならば、


「お互いに友達とは何か?」という定義を共有した上で、そのルールを守り始めてから、が友達である。

その場合の友達の終わりは、

・どちらかがルールを破る

・どちらかの友達の定義が変わる

という事になる。


よって、それ以前の段階で「友達とは何か?」の意思疎通ができていないケースは論外になる。

お互いに「友達とは何か?」の意思疎通ができていないで、「こいつとは真の友情が築けている!」と考えているとしたら、それは甘い考えである。

後で痛い目に遭うのは自分であると思う。

勝手に友達認定をしている人に限って、平気で「裏切られた」とか喚くものである。


こういう人は仕事の「契約」でもなぁなぁにしてしまうタイプが多いのではないだろうか?


子供も大人も、「ルール」によって動かされているのである。


「なんとなく」で友達は作らない方が良い


自分の中では「友達とは何か?」を考えて他人と接するべきだろう。


そうしないと、「他人の思い描く友達像」に自分が引きずられて面倒くさい事態を発生させてしまう事になる。


それに、「自分が友達だと思っていた人が、相手からすると別にそんな事はない」という嫌な思い出を作らなくて済む。


私ってツイッターで友達が1000人いるの?

なんて感じの人を羨ましいとは思わない。


個人的には「友達の定義」を共有できる友達が5,6人もいれば最高だと思う。