人生は終了したら何も残らない。【「ソシャゲは無駄」とバカにする人は人生の価値を金銭でしか考えられていない】

ソーシャルゲームは無意味ですか?


「スマホのソーシャルゲームって、サービス終了したら何も残らないじゃん。やる意味なくね?」

という発言をする人は多々いる。


私もスマホゲームにとんでもない量のエネルギーを注ぎ込んだ事はないし、ましてや課金をしたこともない。


だから、上記のような気持ちがわからないでもない。


「スマホゲーなんてやってないで、将来を見据えて積み重ねていけるものにエネルギーを注ごう!」

なんて事を思ったりもした。


だから、スマホゲーを熱中する人間を、心の中では笑っていたりもした。


・いつ終わるかわからない。

・終わったら何も残らない。

・ただ楽しいだけ


この理由を持って、スマホゲーに熱中する人間をバカにしていた、という事である。



うん、否定するだけの理由にならないよね?


と最近は思う。


だって、それって人生と同じじゃん!

じゃあ、人生も無駄って事になるんですか?


スマホゲーを否定する事によって、人生までも否定する事になるのではないだろうか?


無論、「将来にどのくらい利益を生み出す可能性が高いのか?」という観点において、スマホゲーとスマホゲー以外の何か(例えば勉強とか仕事とか)を比較してみるのならば、スマホゲーの効率はあまり良くはないだろう。


きっと単純に楽しいだけである。


スマホゲーを高い利益に変換することのできる人間は極わずかである。



つまりは、スマホゲーの「利益の貯蓄効率」は悪い。


この点において、スマホゲーはバカにされるのだろう。



確かに、将来をより良く生きるためには何かを積み重ねる必要があるのだろう。

何も積み重ねて来なかった人間は何も得ることができない。


しかしだ。


「何のための積み重ねなのか?」という人生においての重要な要素が欠落したまま、積み重ねを行っている人は結構いるのである


そして、「積み重ねしか行わない人間」が「全く積み重ねにならないスマホゲー」をバカにするのである。


人間は死んだらお終いだから、積み重ねを続けても、死んだらそれはパーである。


死んだら積み重ねは雲散霧消する。


にも関わらず、「楽しい事、熱中できる事」をないがしろにして、「将来、楽をするため」だけに今の貴重なエネルギーを注ぎ込む、ということもナンセンスである。



「死ぬ時までに貯金が一億円あると、死後幸福になれる!」みたいな事はあり得ない。

死ぬ寸前にはお金も知識も経験も役に経たない。


それは絶対的な事実である。


「何のための人生か?」


それは人によって様々だろうが、「人生は楽しむもの!」という考えを持っている人からすれば、生産性のないスマホゲーであっても非常に価値があるのではないだろうか?


誰だって、最後には何も残らないのである。


自分がこれをやりたい!という気持ちが、もしも世間からずれていたとしても、そんなに大きな問題にはならないではないだろうか?