読まれないブログを書くことは、一人でチラシの裏に書くことと同じだろうか?

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人気ブロガーは一握り

人気ブロガーのブログはたくさんの人が読んでいるんだけれど、この世の大半のブロガーに人気はない。


ここでの大半とは99%以上のブロガーのことを言う。



まぁ正確な数値を測定することはできないけれど、ここで言いたいのは大半の人間が運営するブログなんて「誰も見ていないに等しい」ということだ。



ブログはネットの海に放流するけれども、人気のないブログは個人用のクラウドサーバに保管しているようなものと対して違いはない。


仮に自分のプライベートを赤裸々に公開していたとしても、誰も見なければ、誰も関心を向けなければ、個人用の情報とあんまり違いはないのである。




そういう意味で、人気のないブログはチラシの裏に文字を書きたくっているのと似たようなものである。



というか、ブログってのは本来はそういう意味合いから始まったものだったと思う。


それが、ネットの海に公開することによって、広告が付いたり、人気者がチヤホヤされたり、炎上したりするから、ブログという存在が何か異常に神々しく恐れ多く魅力的な存在へと変貌してしまったのだろう。



しかしそれは、実体が変貌してのではなく、あくまでも人間視点での見え方が変わっただけだ。

ブログはブログのまま、昔と何も変わっていない。


自分の思いをただただ単純に書き連ねることだってできるのである。



私はさっき、ブログとチラシの裏はほとんど同じ、と書いた。



こう書いたという事は私自身、ブログとチラシの裏には何か決定的な違いがある事を認めているからに違いない。




ならば違いは何か?



それはとっても単純で「知らない誰かに見られる可能性がある」ということだろう。


チラシの裏ならば、最悪のケースを考えても、自分の家族に見られて笑われる程度で済む。

しかし、ブログに書くならば自分の拙いどうでもいいような思いでも、世界中の人間に見られる可能性がある。


いや、可能性があるというよりかは、見ることは理論上可能、というだけの話ではあるが。


実際は宝くじの3億円が3回連続で当たるような確率よりも低い。


だって、世界中の人間がインターネットを使用できる訳ではないし、世界中の人間が日本語を使える訳がないから。


まぁそんなことはどうでもいいのだが、ブログとチラシの裏の違いはそこである。



「もしかしたら」の範囲が異常過ぎる程に大きいのである。

先に挙げたように、理論上ならば世界中に知れ渡る事だって可能である。

ただ、現実としては全然そんな事なくて、大半の人間は人気がないので誰も見ない。


誰も見ないでアクセスもないで終わっていく。



ほとんどのブログはそう終わる。


ブログというのは宝くじとも似ているのだろう。


ブログを書く時は、超有名ブロガーになって、広告収入がサラリーマンの月収を超えて、毎日遊んで暮らせるのに、偉そうな名言を垂れて暮らせることを想像する。


宝くじを買う時だって、きっと3億円当たったらどうしようかなぁ、と想像するはずだ。


仕事辞めて、旅行行って、美味しいもの食べて、素敵な結婚をして。

そんな事を考えるはずだ。


しかしブログの現実は無関心だし、宝くじの現実は紙くずだ。


限りなく0に近い可能性でも、可能性があると言われてしまうと、愚かにも人間はそこに向かって走り出してしまう。


手堅い現実より、理想的な非現実を人は好むのだろう。



やる事も実際の結果もブログとチラシの裏は同じだ。



しかし砂粒よりも小さい希望が人をこんなに駆り立てるのである。




なんかブログのアクセス数だけを追って必死になっている自分を考えると、宝くじ売り場で必死になっている老齢の方とイメージが被ってしまう。