この世にお金で買えない物は何があるだろうか?販売できない商品について。

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この世の中には、お金で買えないものだってあるんだぜ!


みたいな事はよく言われる。


格好付けたいのか、お金がない人の僻みなのか、お金持ちの余裕なのか。


その辺は定かではないが、よく取り上げられるテーマである。



で、お金で買えない物の代表選手が「愛」だそうだ。


目に見えない物はお金では買えないよね!


そして、人の高尚な心はお金では手に入らないよね!


という理由によって主張されている。




まぁ、こんな理屈はほぼ怪しい宗教と大差がない。




  • 曖昧な定義だけど、それを自分は所有している!
  • 他の誰かの無粋な行為によって侵害することは絶対にできないのである!
  • それは素晴らしい物なのである!


という心情はありありと読み取れるのである。



お金の下らなさ、お金の恐ろしさを前にした、人間の防衛本能である。

自分はいつだって崇高な存在でありたい


自分の持っている物、自分が築き上げてきた物が、つまらない、簡単に手に入りありふれている物だとは、何がどうあっても思いたくないのである。




この世の中には70億もの人間はいるのに、みんなが特別なオンリーワンとか言って、無理やり自分に意味があるのだと思い込みたいのである。


私は何十億と存在するアリのそれぞれの個性を見出すことはできない。



まぁ、それでも人間は自分にしか手に入れられない何かが欲しいのである。


それの代表例が「愛」なのだろう。




私の主張としては「愛」は買えると思っている。


お金から始まる恋だからと言って、それが絶対に「愛」にならないとは思わないからだ。


お金をたくさん持っている人に対して「愛情」を感じる人だっているだろう。


反論する人は「そんなのは真実の愛ではない!」とか言うのだろうが、明確な定義もしないくせに「真実」とか「本当」っていう枕詞をつける人間の話を聞く価値はないので却下する。





でも、お金で買えない物としてよく挙げられる物が「愛」というのは、大きなヒントである。

確かにこの世の中にはお金で買えない物はある。


それは「情報」である。


それも「リアリティの高い情報」である。


つまりは臨場感を伴っている実体験である。



現状、それをお金だけで買うことはできない。



富士山に必死な思いをして登頂した経験は、お金を支払う事によって買うことはできない。



よっぽどのレベルで科学が発達しない限り、経験したという記憶を購入することはできないだろう。

経験、臨場感は価値が高い


だから、自分の肉体、健康、それによって得られる臨場感を伴う経験はお金で買うことのできないものである。



そんな大切な物をもっていながら、「お金がない」とクヨクヨ悩むのは時間の無駄である。


自分の肉体、健康という資産は時間の経過と共に減少するのである。


また、手に入れた臨場感の伴う経験というのは、現時点はまだまだ高価で取引できる。


お金を払うことで、「お金で買えないもの」は買えない。

しかし、「お金で買えないもの」でお金を手に入れることはできる。



お金がもちろん大事だけど、他に価値の高い資産を多くの人は持っているのだから、それを有効活用するのも一つの手である。