ブログはジャンプ漫画くらいに能力差がつきやすいジャンルだよね。平気で1000倍とかの実力差が出る。

ブログの世界は漫画みたいな能力の違いが平然と存在する


ブログの世界なんかでは顕著ではないだろうか?


一人の人間が一年掛けて1万アクセスを達成したその隣で「一日1万アクセス達成したぜ!」みたいな事を言っていたりする。


一時間頑張れば一時間分の成果が得られるような形態にはなっていないから、こういった事は当然のように起こる。


ある人にとっては嬉しい現実であり、そうでない人にとってはそうでない現実である。


その現象について良い悪いを判断しようとは思わない。


糾弾した所で、何も変わらない事は明らかだからだ。


格差は絶対に発生する。

それも今のような柔軟で自由な働き方ができる時代は特に発生する。


格差をなくしたいならば、庶民から一切の自由を取り除かなくてはならない。


でもそんな事は不可能であるから、やっぱり格差の良し悪しが一般庶民が考えることは無駄な事なのである。

格差はいつの時代にだってある


ただ、ここで思うことは、一年掛けて達成することを他の誰かが一日で達成するという現象は、いつの時代にだって起こることなのだ。


お金持ちとそうでない人の差というのはいつの時代にだってあるからだ。



ある特定の時代の中だけでも、ものすごい差があるし、時代の枠を飛び越えればそれ以上の差が広がっているのである。


昔の人は他人に文章を届けるのにも、何日何十日と掛けてそれを達成していた。


今の時代ならば、メールアドレスさえあれば一瞬でそれを達成することができる。


昔の人は満足な食事を得る事も困難な状況の中で餓死していたが、今の時代の日本でそんな状況に陥る事は非常に珍しい現象である。


別に、「昔の人はとっても苦労していたのだから、ワガママを言わないで今あることに感謝しましょう」なんて事を言うつもりではない。

今の懸命な努力は未来のおいてはまるで無駄かもしれない

ここで言いたいことは、「私達が今、懸命な努力によって手に入れた偉大な何か」はあと何年か何十年かすれば、赤子の手をひねる程度の簡単さで達成することができるかもしれないのだ。


今の時代にものすごい艱難辛苦を乗り越えて、大きな財産を手に入れた人がいたとしても、それは何十年後には人間みんなに当然の事として提供される可能性だってあるのだ。



要するに今の時代のスゴイ人が手に入れるスゴイ何かなんて、未来からすれば当たり前の事になるかもしれない、ということだ。


だから、スゴイ人を見て「自分は全然スゴイ人じゃないんだ、生きているのが虚しい」というのは間違っているのだと思う。


その考え方からすると、今の時代のスゴイ人だって、未来の人間からしたら虚しいのである。


今の自分がやっている事なんて非常に些細でちっぽけな何かだろうが、それは全世界の人間に対して言えることなのだ。


100年後の人間からすれば、100年前の人間が「一ヶ月で100万円稼いだ!」なんて事は本当にどうでもいい。


当たり前の事に感謝せよ!

なんて事は言わない。


でも、自分が社会から陽の目を見ない事を虚しいと思うことは、非常に無意味で虚しい行為であることは確かだ。


いずれは誰もが忘れ去られるのである。


その点については人類皆平等あるという事実に目を向ければ、少しは気楽になるのではないだろうか。