萎縮した状態で100%の能力を発揮できる奴なんていないんだから、叱るよりも褒める事を重視しようよ。

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タイトルで全部言ってしまった感じはある。


今の時代ならばツイッターとかでこういう発言をした方がいいのかもしれない。


そんな時に考えるのは、ブログだからできる事と短文(ツイッターなど)だからできる事の違いってなんだろう?と考えてしまう。



めんどい時はツイッターで、たくさん書きたい時はブログ、みたいな分け方はできるけれど、それは自分の今の気持ちを主眼に置いた考え方であり、他者から見た時の特徴にはなりえない。



とはいえ、そんなに深い特徴まで見出す必要はないのか。


ブログはその内容を掘り下げたい時に利用すれば良いし、ツイッターはそれだけで完結しているか、短い文章で他者の想像を膨らませるみたいな特徴があるのだろう。


多くの人に要点だけを伝えたいのならば、ツイッターの方が良いのだろう。知らない誰かが自分の書く内容を隅の隅まで隈なく見てくれるなんてことは中々ないのだから。


逆に深く正確にその内容について知って欲しい、理解して欲しいなんて言う場合はブログなのだろう。

閑話休題の使い方

まぁそんな事はどうでもいい。閑話休題である。


とはいえ主題についてまだ一切触れていない場合でもこの言葉を使用しても良いのだろうか?

余談を打ち切って、本題に移る事を閑話休題というならば、本題が始まってもいないこの記事に対して閑話休題はおかしいのかもしれない。


というか閑話でしか構成されていない記事の本題は閑話ではないのだろうか?


どうなんだろう?この場合、記事を占める割合が少ない方が閑話なのだろうか?それとも私が伝えたい事以外を表すものが閑話なのだろうか?

とはいえ、わざわざ閑話を設けてまでその内容を伝えているという事は、私の無意識の中では、その筋道を逸れて伝えようとした内容もまた本題なのではないだろうか?

脇道に逸れた内容を本題とは一切関係ないと断定する事は、何か表現しにくい重要な部分を削ぎ落としてしまっているような気がしてならない。


まぁいいや、閑話休題。


タイトルの内容である。

嫌な気分でいい仕事はできない


まぁそのままなのだけれど、萎縮した状態で最高のパフォーマンスを発揮できる人間なんて此の世には一人としていないと思う。


たまに怒鳴られたり叱られたりすることによって興奮する人間というのがいるが、それはどうなんだろう、そもそも不快な感覚を受けてはいないのだろう。不思議なことだ。



だから叱る事を一切やめろとは言わないけれど、「割合としては叱る事よりも褒める事の方が多いのが望ましい状態」であると私は思う。


褒める所が一切なくてミスばっかりしているから叱るしかないんだ!

と仰る方もいるだろうが、その場合は叱りたい部分に目を瞑って、砂粒よりも小さいような部分でもわずかに褒めることができるような箇所を見つけて褒めるしかないのだろう。


どうしようもない人間というのは此の世には存在するが、そのどうしようもない人間を少しでもマシにするためには、その方法しかないように思える。


今の世の中、パワハラだとか言って上司の悪い部分にだけスポットライトが当てられるが、その影でまともな事をしっかりとやっているのに、本当に部下が駄目で苦労している人だっているだろう。


部下は上司を選べないが、上司もまた部下を選べない。



中々に面倒な世の中である。


まぁそれでも今より少しでも何かをマシにする方法としては、「叱るよりも褒める割合を増やす」ことしかないように思える。


やはりタイトル通り、萎縮した状態で上手に立ち回れる人間なんていないのだから。