嫌いな人間を悪だと断罪すると人は正義の善人になれる。

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絶対的な善人が存在しないから、明らかに偽物である善人が増える


嫌味な言い方だが、やはりそういう一面を完全に否定することは難しい。



正義を振りかざすためには、やはり悪が必要なのである。



そしてその悪を打ち倒すために始まる人生があるし、輝く命がある。


何の使命感もなしに英雄になることができる人間は存在しない。



だから、今の自分がくすぶっていて何もしたい事がなくて、それでいて気に食わない人間はたくさんいたりするのならば、もういっその事を自らを正義の善人だと思い込んでしまえばいいのではないだろうか?


そして、今の自分の気に食わない人間を悪人だと断定してしまえばいい。


結局の所、善だとか悪だとかに大した違いはないのだから。


きっと、その善を振りかざして強く行動していれば、あなたを支持する人間は現れる。


そのためには、ある程度の理屈と背景と強さが必要なのは言うまでもないが、世間と一風変わった意見であっても、はみ出し者というのは世の中にいくらでもいるから、そういう人達を大勢集めればは、立派な一つの思想としていずれ認められるのである。

自分が憎むものは何か?


だからこそ、今の自分が絶対に許せない物をしっかりと認識するべきである。


その許せない物がどうして許せないのか、そしてそれを今後どう変えていきたいのか、変わったらどんな世界になるのか?


それを具体的にイメージできて、周囲の人間にも理解できるように言語レベルに落とし込む。


それができれば、退屈だと考えている人生にも一筋の光明が見えてくるだろう。


無論、最初の最初は豆電球の10分の1程度の明るさだろう。


おそらくあってもなくても変わらないようなレベルである。


だが、周囲から認知、賛美、そして周囲に影響力を与えられるレベルにまで成長すれば、その時点で人生は劇的に変わっているはずである。



自分に好きで好きでたまらない何かがあるというのならば、それを貫けば良いのだろうが、嫌いで嫌いで仕方がない何かだって、それに拮抗するくらいの素晴らしさはある。

何を悪とするのか?それによって正義と将来は決定される


だから、やりたいことがない自分に失望することはない。


ならば、やりたいことがない自分を悪と断定してしまえばいい。


自分の心に巣食う駄目な自分を悪と断定して、どうにかそれを退治する方向で人生を歩んでいけば良い。


そんなテーマならば、同じような悩みを抱えている人間はいくらでも存在するから、同調してくれる可能性は非常に高い。



何も考えない人間はいないのだから、本当ならば人生の目的が一切見つからない人間だっていないのである。


庭から見渡す景色が気に入らないから、これを綺麗にすることがとりあえずは自分の人生の目的!という感じでも全然良いのである。



人生の意義とか目的とかいって、なんかものすごく大きな尊大な何かをイメージさせてしまうから、尻込みしてしまうのである。


今の時代人間なんていくらでもいるのだから、どこかの誰かが周りから見たらくだらないと思うような人生の目的を持っていても何ら問題はない。



悪だとか正義だとか言うと壮大になってしまうけれど、好きな事と嫌いな事、気になる事と気に食わない事。


人生を面白くしたり変化させたりする要素は、そんな軽い感じの何かである。