信頼関係は利害関係。安易に信じるって言うと薄っぺらい。

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信じるって言葉を簡単に使うな


人を信じるとか、愛するとか。


他人に対して好意を示す言葉はたくさんあるけれど、そこに共通する心は「私にとって利益になる」ということだ。


自分にとって不利益しかない人間を人は好きになる事はできない。


だから、お互いに信頼している関係というのは、お互いに利益を与えられる関係と言っても差し支えないだろう。


別にこのことによって、信頼関係だとか愛だとかを馬鹿にして否定している訳ではない。


人間が楽しく幸せに生きていくには、そういったドライな基本設計は認識しておくべきだ、という話である。


そういったドライな基本を認識しておくと、自分や相手や環境が変わった時の人間の心情に対応しやすくなる。


具体的に言うと、「裏切る」とか「裏切られる」とかいった事態に、もう少し冷静に対応できるようになる。

人の信頼は利害関係


この事実を人間は本当に忘れやすい。

利害の一致によって二人は手を取り合っているというのに、不思議な事に「私達は損とか得とかを超越した何かで結ばれているのだ」という錯覚をしてしまう。


そして、その錯覚を是正しないままに、自分や相手や環境が大きく変化してしまった時に、悲劇は訪れる。


この時によく発言されるのが、「そんな人だと思ってなかった」、「裏切られた」、「自分の事ばっかり考えやがって」、「やっぱり人間って汚い生き物なんだね」といった台詞である。


こういった発言が出てくる理由は、利害の一致によって人間が手を繋いでいた事実を忘却した事である。


そして、「周囲は絶対に自分の都合の良いように考えてくれる。」なんて勘違いをしてしまった場合にも起こりうる。


要するに人間の本質を見ないで、童話だとか漫画だとかドラマの世界だけを信じて、綺麗事ばっかり言う人間に限って、上記のような台詞を吐く、ということだ。

不愉快だけど人間の本質について考えてみる事は重要だ


友達も親友も恋人も夫婦も。

離れてしまう事があるのならば、利害のどこかに歪みが生じたからだろう。


男も女も、それを自分の無意識で誤魔化して、綺麗な言葉でラッピングしてしまうから気が付きにくいけれど、そういう事である。


相手が自分のどんな所に利を感じているのか。

それを正確に把握し、提供する事は簡単な事ではない。


そしてそれを考える度に、少し辛い気持ちになる事もあるだろう。
(だからこそ、人は無意識的に、愛とか友情という言葉で誤魔化してしまう)


しかしそれでも、たまにはそういった現実的な目線で相手や環境を見つめてみる事こそが、よりよい関係性を紡いでいく手段になることは確かであると思う。